「星座α」第34回定例歌会 於)鎌倉 浄妙寺書院
「星座α」の歌会は通常は石窯ガーデンテラスか、境内の無庵という場所で行われる。今回初めて本堂横の書院で行われた。いつもとは異なった空気の下で新鮮な感覚で歌会が進行していった。
まづ最初に尾崎主筆の厳しい言葉が飛んだ。「身辺雑詠が多い。」よく言われるのは「日記に書けばいいもの、感想文は短歌にならない。現代の定型詩と考えよ。」ここがなかなか難しいのだが、会員の実力がついてきたので、こういう言葉も受け入れられるようになった。
身辺の事実を5・7・5・7・7の定型に収めても詩にはならない。これが常に言われるのだが、ここを越えて100年先に残る作品を作るということだ。
身辺の事実の中に、何か普遍的なものが必要なのだ。人間の在り方、自己の在り方、社会の在り方を掘り下げる。ここを目指せというのだ。
それを受けて作品批評に入った。おもな論点を列挙する。
「自分でわかるだけの自己満足ではいけない」「自分の個性をつかめ」
「自分自身は何かという問いを欠かすな」「流行語に流されるな」「説明は要らない」
「言葉を洒落すぎると作品を受容してくれる人が減る」「耳からわかるようにせよ」
「詩歌を肉声で聞き感覚を鍛えよ」「表現が曖昧では読者に伝わらない」
「こなれた言葉を使え」。
会場が書院だったためか、いつになく緊張した。僕は選者としての発言をしていたが、質問があった。
「古典語文法に弱いのですが、どうすればよいですか。」
ぼくは3つばかりのアドバイスをした。
1、高校生の副読本の古典語文法の本を古本でさがす。
2、古典を一冊読む。(僕は『土佐日記』を読んだ。)
3、近代短歌の秀歌を読む。
『古今集』『新古今集』などを読むのもいい。角川文庫が手頃だ。
秋の寒い一日だった。だが心が熱くなるような歌会だった。
