岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

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島木赤彦「歌道小見」を読む:斎藤茂吉の写生論の祖形・4

2011年02月17日 23時59分59秒 | 写生論の多様性
島木赤彦のまとまった歌論は二つある。「写生道」・1918年(大正7年)と「歌道小見」・1924年(大正13年)である。このうち後者のほうが、短歌の諸問題全体にわたる論なので、こちらを紹介したい。岩波文庫「歌道小見」も読みやすいが、ここでは筑摩書房「現代日本文学全集」に依った。

 まず「岩波現代短歌辞典」(岡井隆監修)で基本的なことをおさえておく。

「1903年、歌誌「氷むろ(比牟呂)」を創刊、同年創刊の「馬酔木・あしび」にも短歌を出し、伊藤左千夫に師事するようになる。・・・「比牟呂」は、1908年創刊の「アララギ」に、翌年合流した。・・・「アララギ」は大正歌壇の中心を占めるが、それは赤彦によるところが少なくない。第3歌集「氷魚・ひお」(1920)は、入念な写実を中核とする作になる。」

 斎藤茂吉より6歳年長だがどちらかというと、「同輩」というのがふさわしい。「アララギ」草創期から拡大期を共同で支えたからである。しかし、斎藤茂吉が「短歌に於ける写生の説」を執筆するきっかけになったという意味で、ここでは「斎藤茂吉の写生論の祖形と位置付けた。赤彦と茂吉の写生論のどちらが優れているかという問題ではないことをお断りしておく。

 さて「歌道小見」は20章からなる歌論。全ての章を等しく紹介するのは難しいので、濃淡をつけ、便宜的に箇条書きとする。(中見出しは原文通り。)


1・古来の歌:古典に学ぶ必要性を説く。

2・万葉集:万葉集に親しむことを勧める。代表歌人として柿本人麻呂・山部赤人をあげ、ふたりの作品の高さ・深さを知るには読者・短歌作者の「心の開拓」しだいという。またその他の作者についても「皆自己の本質の上に立って」おのおの特徴のある作品を残したという。

3・万葉集の生命:万葉集の魅力について。「心が単純で、一途で、調子が大まかで、太くて強い」「原始的な強さと太さ」「子どもの如き純粋さと自由さ」にあるとする。言葉の上の飾りがなく、率直で、大らかで太い声調をもっているということだろう。詳しくは島木赤彦の主著「万葉集の鑑賞と其の批評」で、技巧と知識が前面に出た作品や作者を批判しているところからわかる。

4・万葉集の読み方:「何回も読む」「注釈書を読み、また自分で研究する」といいながら、参考文献を紹介している。(出版元や当時の価格まで書いてあるのは、教師出身の赤彦らしい。)

5・万葉集以後の歌集:これは正岡子規の「歌よみに与ふる書」の、古今和歌集・新古今和歌集・近世の和歌の評価とほぼ同じ。それに良寛・正岡子規・伊藤左千夫・長塚節の歌集を常に座右にそなえ参考にしていると述べる。

6・古歌集と自己の個性:古典を読むのは「自分の個性を尊重する所以であ」るといい、子規の目指したものは万葉崇拝ではなかったとする。(この5・6は伊藤左千夫との違いである。伊藤左千夫は「万葉集」を全肯定し、「古今集」「新古今集」を全否定するが、子規と赤彦はそのように図式的には考えていない。)

7・歌を作す第一義:「自己の歌をなすは全心の集中」が必要といい、過去の歌人もそういう道を通ってきたとし、流行・感傷・洒落・虚仮おどし・濫作をいましめている。

8・写生:具体的事象を詠むことを基本として、正岡子規が「写生」という絵画用語から短歌に転用したことを紹介している。

9・主観的言語:悲しい・嬉しいなどの「主観語」を安易に用いるなとし、用いる場合も具体的事象を捉えるように言う。

10・歌の調子:伸び伸びと働く場合、ゆるゆると働く場合、切迫して働く場合、沈潜して働く場合と、個々の感動に皆特殊の調子があるとする。そして作者の感動の調子と作品の調子があっているのが秀歌であるとする。

11・歌の調子 つづき:句切れ、結句で作品の価値を左右する。結句の字余りは一首の重量感を増す(これは島木赤彦独特の主張)などを述べるが、「快よすぎる」ものは「軽いものになり易い」とし、大伴家持・藤原鎌足・源実朝などの実例を挙げる。

12・単純化:感動の中心をしぼり、言葉を飾らず知識に傾くなと述べる。

13・表現の苦心:無造作・自由・自然をよしとし、感動の本体・作品に現れた所・意味・声調が一体となるようにと述べる。「ありのままなる表現」の難しさを言う。

14・概念的傾向:直感的意味から遠ざかった作品は、観念的・形式的・概念的なものになって、個性を失うと述べる。その例として人麻呂の失敗作、材料負けした山上憶良・大伴家持の熱のなさが挙げられる。しかし、主観の強く現れた概念歌は、形が単純で、声調が緊張して秀作となりうると述べる。

15・比喩歌:比喩は直接的でなく理屈が働く傾向があり、道具立てに興味が傾いてしまうおそれがあるとする。だが比喩の歌でも感情の透徹しているものは秀作足りうるとする。14と同じ論調である。

16・象徴:「歌ふ所の境地は山であり川であり、材料とする所は雲であり樹木であり鳥であるからども、現われる所は、作者心霊の動きの機微」と実作を挙げて論じるが、それはつまり「象徴の極致と写生の極致と一致する」ものであり、そういう象徴歌は「露はに象徴と見えずして、象徴の意が深く内に籠る」とする。

17・官能的傾向:前半は与謝野晶子への批判。「当世流行の軽薄感」の代表とまでいうが、一方で「歌に官能の臭ひの多いことを否認するものではありませんが。官能のにほひ多くても構いません。只それらを通じて中枢的に沁みて来る」必要があると言う。そして、万葉集から三首紹介している。

18・思想的傾向:哲学・人道問題・労働問題と短歌の関係。「左様なものが歌に現れるのはいい。・・・ただ、・・・歌の領域は個人のもつ思想的感情を押し詰めて、単純なる一点に澄み入る所に拓かれてあります。」と佐太郎の言葉でいえば、「表現の限定」、坪野哲久の言葉で言えば「切り取り」の必要性を強調する。

19・用語:口語の用法について。その必要性を認めつつ、「口語で歌を作す(なす)ものも、これまでに純真に行き得たら大したもの」と万葉集の東歌を例に引く。そして議論だけでなく実際の作品の質の高さが問われるとする。こらは後年の斎藤茂吉の論と合致する。

20・連作:伊藤左千夫が「積極的に蓮作の唱道」をしたことを紹介しつつ、「一首としての独立性」の必要を述べる。これは伊藤左千夫を受け継ぐとともに、後の佐藤佐太郎の「純粋短歌論」に結びつくものといえる。そして最後に正岡子規の連作(10首)を紹介する。


まとめ:1から6は古典特に万葉集をどう読むかの問題。7から13は「写生論」の中核、14から20までは当時の歌壇への意思表明である。それらが後に斎藤茂吉や佐藤佐太郎の歌論につながっていくのが注目点のひとつだろう。



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