岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

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斎藤茂吉の「写生・写実短歌」に対する異説

2011年06月12日 23時59分59秒 | 写生論の多様性
「異説」とは「思い違い・勘違い・誤解」の意味で、斎藤茂吉が「短歌に於ける写生の説」のなかで、一章を設けているもの。茂吉と佐太郎の歌論と実作にはつぎのようなものがある。

「象徴的、神秘的、宗教的、気韻、写意、さういうことは、真に写生をすれば、おのづからあらはれるものである。」(「短歌に於ける写生の説」)141。

「羅列、雑報ははじめから子規の排斥せるところであった。後進者は何を苦しんでその邪魔を為し得ようか。私等は先進苦心のあとを追尋して、以て大に答ふるところがなければならぬ。」(「短歌初学門」)295。

 岩波文庫「斎藤茂吉歌論集」より。(数字はページ)


・むらさきの葡萄のたねはとほき世のアナクレオンの咽を塞ぎき・「寒雲」

 岩波文庫「斎藤茂吉歌集」211ページ。

 この作品を「ロマン・ロワール風の乾いた残酷性をもち、墓碑銘のように簡潔で冷ややかな一首である」と評したのは塚本邦雄である(「茂吉秀歌・白桃~のぼり路まで・百首」)。佐藤佐太郎著「茂吉秀歌」ではとり上げられていないが、長沢一作著「斎藤茂吉の秀歌」では「これは連想である。そして作者にとってはこれも< 写生 >だというのである。ここでも茂吉のいう< 写生 >の概念が如何なるものであったかが窺い得よう。」という批評文とともに紹介されている。


「茂吉秀歌」にとり上げていないから、佐藤佐太郎がこの作品を秀歌と考えていたということにはならない。「(「茂吉秀歌」は)相当の分量になったから、これでいちおう終わったことにするのである。もし将来に時間のゆとりと命があれば、さらに短評を加えたい歌も少なからずある。」(「茂吉秀歌・上・序」)

 事実、実作のうえでも次のようなものがある。

・薄明のわが意識にてきこえくる青杉を焚く音とおもひき・「歩道」

 岩波文庫「佐藤佐太郎歌集」26ページ。


 このように「写生・写実」は茂吉・佐太郎にとって、「見たものをみたまま表現するもの」ではなかったのだ。ところが、「異説」と呼んでもいいような理解が、名の知れた歌人のなかでも氾濫している。具体例を挙げよう。



1・客観写生(写生=見たものをみたまま表現する)という異説。

 斎藤茂吉の写生論は汎神論的・象徴詩的・空想的(理想的・連想的)と言われる。長沢一作著「斎藤茂吉の秀歌」の冒頭の「斎藤茂吉私記」や、塚本邦雄著「茂吉秀歌・全5巻」にある通り。その部分をさらに色濃く受け継いだ佐藤佐太郎の作風が「独自の象徴技法が開花」(岡井隆編集「集成・昭和の短歌)と呼ばれるのには、大いに理由がある。佐太郎の歌の作り方も象徴詩の方法論に近いものもある。



2・写生=単なる情景描写という異説。

 これは問題にならない。「情景」の「情」はこころの意。的確な情景描写が出来ていれば抒情詩としては上出来である。茂吉の作品のいくつかを「非のうちどころのない叙景歌」と呼んだのは、塚本邦雄であり、的格な叙景歌はそれだけで叙情詩だといったのは岡井隆。



3・「写生をつきつめれば象徴に至る」という茂吉の歌論に対する異説。

 ある歌人は「写生をつきつめれば、自ずから象徴の域に至る」という言について、「写生がどうなれば象徴に至るのかわからない。途中が抜けている。論理に一貫性がない。」というが、これは言葉で定式化できるものではない。僕自身、いつのまにか「作品が塚本邦雄的になってきた」「後期象徴派詩人の吉田一穂と似ている」さらに最近は「西脇順三郎を思わせる」ともいわれはじめた。その理由は僕にもわからない。歌論は化学反応式や途中式を重視する数学とは根本的に違う。



4・伊藤左千夫と斎藤茂吉の「写生・写実」を同一視する異説。

 これも余り問題にならない。伊藤左千夫と島木赤彦・斎藤茂吉ののっぴきならない論争は有名。伊藤左千夫は「写生は絵画用語なので、写実と呼ぶべきだ」「短歌の内容と声調を分けて考えることができる」と正岡子規とも茂吉・赤彦とも、見解を異にしたのは、多少とも短歌史に詳しいものであれば、常識の部類にはいる。これに関しては、大岡信著「正岡子規-五つの入口」133ページに簡潔にまとめてある。「子規は長塚節を高く評価し、伊藤左千夫についてはあまり悪くかいていないが、子規の弟子の一人は< 左千夫は頭が固くて、頑迷固陋で、ものわかりが悪くて先生(正岡子規)はしょっちゅう困っていた >と書いているという。

 斎藤茂吉も「伊藤左千夫は選歌の師、長塚節は本質的な意味での師」と書き残している。(「長塚節の歌」)・・・岩波文庫「斎藤茂吉歌論集」195ページ。

 おまけに伊藤左千夫は茂吉の「短歌に於ける写生の説」のなかで、「写生論の異説」に与謝野晶子と並んで批判されている。

「斎藤茂吉は伊藤左千夫の弟子」という、教科書的な理解の範囲では心もとない。



5・岡井隆と塚本邦雄の異説。

 これは「異説」というより見方の違い。茂吉の門下に連なる歌人以外で茂吉の作品を丹念に読んでいるのは、この二人だろう。

 岡井隆の茂吉論の特徴は二つ。「ともしび」を茂吉の代表歌集のひとつとすることと、「写生=リアリズム」の立場から茂吉の写生をみているところ。

 塚本邦雄の茂吉論は、ヨーロッパの「象徴詩人」との共通項を見ながら、茂吉の作品を読んでいるところ。

 二人の著作を読んでいると、違った角度からの茂吉像が浮かぶ。




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