・あそぶごと雲のうごける夕まぐれ近やまくらく遠やま明し・
「つゆじも」所収。1920年(大正9年)作。
この一首、佐藤佐太郎「茂吉秀歌・上」・長沢一作「斎藤茂吉の秀歌」・塚本邦雄「茂吉秀歌・<つゆじも>から<石泉>まで百首」のいずれにもとりあげられていない。
人口に膾炙しているものでもない。だが、茂吉短歌のもう一つの性格「遠近法」と佐藤佐太郎への影響を考えたときに欠かすことのできない一首と僕は思う。
どちらかというと地味な作品である。が、注目点は初句の直喩、下の句の対句、「近やま・・・遠やま・・・」という近景と遠景を表現したことにある。
まず直喩について。岡井隆が「現代短歌入門」の「短歌における喩」で述べているように、この時代の短歌には暗喩は勿論、直喩も珍しかった。というより許容されなかった面が強い。そこを茂吉が使ったのである。茂吉だから許されたという面がないではないが、それにしても、この時代では画期的である。
次に下の句の対句について。これも当時のアララギのなかでは珍しい。茂吉にすれば「思いきった表現」なのであろう。佐藤佐太郎の短歌作品には、下の句が対句になっているものが、秀歌として残っているが、これは茂吉に学んだものではあるまいか。
そして最後の「近景と遠景」。「つゆじも」には遠近感をあらわす表現が多い。「遠あらし」「山の深き」「遠風」「はるかに」「奥が」「近くは」「近山」「山ふかき」「遠くかすかに」「空のはて」・・・。
僕はこれを望郷の念のなせるわざだと思う。当時の交通事情からして、長崎はいかにも遠い。まして生まれ故郷の山形県からはなお遠い。茂吉は長崎時代、流行性感冒で寝込んだり、喀血して入院したりしている。これが海外ならあきらめもつこう。
しかし、同じ国内である。帰ろうと思えば帰れないことはない。「みちのくの農の子」(西郷信綱「斎藤茂吉」)にすれば、望郷の念こらえ難しとなるにほどよい遠さではなかったか。次の歌集「遠遊」はヨーロッパ滞在中の作品が収められているが、遠近感を表現する言葉は激減する。
「つゆじも」の遠景に故郷を、近景に「現在のわれ」を重ねるのは深読みだろうか。
