岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

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赤茄子を詠う:斎藤茂吉の短歌

2022年07月18日 09時54分43秒 | 斎藤茂吉の短歌を読む
・赤茄子の腐れてゐたるところより幾程もなき歩みなりけり

 「赤光」所収。

 「赤茄子」はトマトの旧称。作者は道を歩いている。おそらくは道端に腐ったトマトが転がっていた。潰れていたかも知れぬ。

 そこを通り過ぎて、程なく、作者は何らかの感慨を受けた。どのような感慨か。それは作者にも判然としなかったらしい。
 
 斎藤茂吉の「作家40年」のなかでも「何らかの」と述べるにとどめている。

 だがこの不思議な感触は何だろう。「八月の濡れた砂」という名の映画があったが、その感触とも重なる。不思議な感慨。明治人としては突飛ともいえる感慨だ。

 そこが時代をこえて残った理由だろう。斎藤茂吉の「赤光」が、時に「明治の前衛短歌」と呼ばれる原因でもあろう。

 当時の「アララギ」の内部で「斎藤茂吉の真似をするな」といわれたのもさもありなんだ。


  

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