岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

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逆白波の歌:斎藤茂吉の短歌

2009年08月16日 00時51分18秒 | 斎藤茂吉の短歌を読む
「白き山」所収。斎藤茂吉の代表作といえるもの。

・最上川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも・

 昭和21年の作。「逆白波」は茂吉の造語である。季節は冬、吹雪いている。山形の冬は厳しい。最上川の岸辺に雪にうたれながら作者が立ってる。おそらくは一人。最上川は大河というほどではないが、水量が多く、山間を一気に流れ下るので水の勢いも強い。

 「五月雨を集めて速し最上川」という俳句があるくらいだから、水量豊かで、流れがはやいのは想像にかたくない。実際に川下りをした人の話では、水面はゆったりとした流れに感じるが、川底のほうの流れがはやく感じるそうである。

 この俳句と川下りの季節は初夏から夏にかけてだが、茂吉の一首は冬である。川の流れの激しさがいっそう伝わって来ようというものだ。流域の風の強さもききしにまさる。最上川が山間を大きく蛇行する地域では風がことさら強く、農家がひどく難渋していると言う。(それを逆手にとって風力発電の風車を取り付けたという話も聞いたが、その後のことは聞いていない。)

 斎藤茂吉は戦後、戦争中の言動の責任を問われて、山形にひきこもった。「第二芸術論」もあった。風当たりは強かったろう。土屋文明は時流に流されたことの始末をつけるために、忙殺されていた。(岡井隆はこれを「土屋文明がアララギ内で戦後処理に走りまわっていた」と呼ぶ。)だからアララギの中にも茂吉の居場所はない。精神的にも追い詰められていたことだろう。

 絶対的孤独である。それを茂吉は景に託した。春でなく、晴れた日でなく、風の緩やかな日でもない。この日のこの情景を選んだ理由をまず考えてみたい。その描写の鋭さに目を向けてみたい。

「最上川」「逆白波」「ふぶく」「ゆうべ」。これらはみな、茂吉の精神的内面をあらわす象徴だ。即物的でありながら、扱われている具象は誠に象徴的である。(象徴詩・抽象的な言葉を連ねた詩・難解詩の三つは必ずしもイコールではない)。ここに「写生短歌」の構成要素が凝縮されているように思う。そしてまた、この時期の茂吉の作品が絶唱の趣を濃くしてくるのは、身の置き所のなくなった人間の叫びのように聞こえるのだがいかがだろうか。



 「白き山」「つきかげ」から、いくつか抄出して置く。僕はこれらを戦中・戦後の茂吉の生きようと重ねて読んでいる。


・最上川の上空にして残れるはいまだ美しき虹の断片・

・オリーブの油の如き悲しみを彼の使徒もつねにもちてゐたりや・

・みちのくの最上川べを住み棄てて嘆かむとして来しわれならず・

・暁の薄明に死をおもふことあり除外例なき死といへるもの・

・茫々としたるこころの中にゐてゆくへも知らぬ遠のこがらし・




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