歌集「夜の林檎」のなかで、巻末近くに「こどものうた」という一節を配置し、大人をちょっとびっくりさせるような子どもの言行を題材にした作品を連ねた。ボクネンジンと言われてきた僕としては、ささやかなユーモアを効かせたつもりだったが、案外と評判がよかった。「角川・短歌」の書評欄でもとりあげられたし、頂いた手紙や葉書にもこの一首が書かれたものが多かった。
子どもは時として大人がびっくりするような言葉を発する。意味を問うと、分らないと言う。だが使い方はあっているから、はっきり言えないだけで意味そのものは何となく理解しているのだろう。
子どものころの僕もそうだった。意味は通じるし使い方もわかる。しかし、言葉の定義を聞かれると答えられない。ならば辞書をひけと大人は言う。国語の授業での語句の意味調べ。辞書をひくのは大切な勉強だが、子どもだった僕にはとてつもなく退屈な授業だった。そんな幼児期の記憶が、子どもの発するひとことひとことへの共感につながったのではないだろうか。
「歌には遊びが必要だ」と斎藤茂吉も佐藤佐太郎も書き残しているが、その面から言っても評価できる作品だろう。
茂吉や佐太郎がそのようなことを言っているとは知らなかった。それを知ったときはいささか意外であった。ところが、初めて歌集を手にする知人たちの心を引き付けるには、この一首のユーモアで十分だったようだ。
短歌は「作者群が読み手」とよく言われる。それが「短歌滅亡論」の根拠のひとつに挙げられることもあるが、短歌を詠んだことのない人たちにも短歌に興味を持って欲しいと思う。
自宅の書棚に歌集がある家はそう多くないのではないだろうか。家族の誰かが短歌をよんでいたりする場合を除けば。このことについては、別の機会に記事にしたいと思う。