・花鎮めの雨は濯がん無意のうちにみづからまとふ覇気のごときを 「尾崎左永子八十八歌」所収。2015年の段階での作者の自信作。 時刻、場所は「捨象」されている。佐太郎の言う「表現の限定」、作者の言う「言葉の削ぎ落し」 美しきダイナミズムがある。脳天を打ちぬかれたように感じる。以上 . . . 本文を読む
・花終ふるサルビアの朱傾きて日のかわきゐる公園に来つ「尾崎左永子八十八歌」所収。 この歌集は作者が選りすぐった八十八首を収録したもの。2015年に刊行されたが、その時点での自信作だろう。 作者はサルビアの花を好む。第一歌集が「さるびあ街」だったのは衆知の事実だ。この一首。 美しい印象を醸し出している作者の美的感覚だろう。例によって「捨象」がある。公園の具体名、具体的時刻が詠みこまれていない。佐藤佐 . . . 本文を読む
・闘ひはただ書き継ぎて生きんのみ暁となりてわが腕痛む「彩紅帖」所収。 作者の生き方は「闘い」の連続だったのだろう。このブログにも「闘いの歌」を収録した。2首とも、短歌界に復帰した前後のもの。前者は執筆活動で「わたしもその標的のひとりに加えて欲しい」といわれたのはすでに書いた。 そしてこの作品「闘い」といえど様々ある。 「執筆活動の闘い」「平和を願う闘い」(作者は東京大空襲の経験者・8・15を語る歌 . . . 本文を読む
・透きとほる花の幻影夜々(よひよひ)に眠りをつつむ立春前後・「土曜日の歌集」所収。 この感覚は何だろう。幻想的だ。「花の幻影」。冒頭の「透きとほる花」桜だろうか、夜桜だろうか。なにかこう象徴を突きぬけた感覚。下の句も擬人法で表現しているが違和感がない。 普段なら擬人法を厭う作者が見事に違和感のない表現にした。 どこの花か、何の花か、個別具体的なものは「捨象」されている。「表現の限定」「言葉の削ぎ . . . 本文を読む
・石垣に茅花光りて風ありき父ありき東京にわれは育ちき「土曜日の歌集」所収。 作者の代表作のひとつ。原作は「空堀に」だったそうだが「石垣に」に変えたそうだ。その方が緊張感があり音楽性も高い。「風ありき・・・・」も畳み込むようで勢いがある。 放送作家をしただけにあって、言葉に敏感なのだ。作者自身は「語感」というが「調べ」とのいう「アララギ」の伝統的な手法だが、こういう感覚は佐藤佐太郎にも斎藤茂吉にもな . . . 本文を読む
・おしなべて聖樹飾れる家の間に灯さぬ窓はユダの末裔「彩紅帖」所収。 「黒人街」と題された一連の作品の一つ。「ユダ」はイエスを裏切った弟子。黒人街で貧困家庭は「聖樹」とある「クリスマスツリー」も飾れず。窓の明りも灯せない。それを作者は「ユダの末裔」と表現した。 ボストンの黒人街が目に浮かぶ。「ユダ」を扱った作品はほかにもある。「最後の晩餐」の絵画のなかで指を立てている「ユダ」を詠ったものだ。そこには . . . 本文を読む
・父が逝き母が逝きやがてわれも逝く地上の今年のさくら耀(かがよ)ふ「春雪ふたたび」所収。 境涯詠である。「父が亡くなり、母が亡くなり、やがては作者も死を迎える」そこを心に留めて「地上にさくらが耀(かがよ)ふ」のを見た。 地名、時間、日付は捨象されている。「表現の限定」「言葉の削ぎ落し」がここでも効いている。 そして、下の句の具体が作者の心情を象徴している。 「表現の限定」「象徴性」を佐藤佐太郎から . . . 本文を読む
・樅(もみ)枯れて佇てり一木の歳月をここに据えたるその天の意思「かまくらもだぁん」所収まずは歌意「モミの木が枯れて佇んでいる一本の木のここまで経て来た歳月がここに据えられている。それは天の意思なのだ」結句が大胆である。どこに植えられて、植わっているか、一日の時刻はいつ頃か、は詠みこまれていない。「捨象」されている。「表現の限定」「言葉の削ぎ落し」だ。 また、一首全体が「悲しみ・寂しさ」を象徴してい . . . 本文を読む
・切尖(きっさき)の光るものなべて怖れゐし午後過ぎて夕べ草に降る雨 「鎌倉もだぁん」所収 日常詠である。これも「NHK歌壇」で紹介された一首。 「切尖(きっさき)の光るものなべて」とは、「切尖(きっさき)の鋭く尖った包丁など」と番組で作者が述べていた。「なべて」は「おおよそすべて」の意。 「包丁・千枚通しなど、切尖(きっさき)尖るものは、今でも苦手」だそうだ。 「切尖(きっさき)の光るものなべて」 . . . 本文を読む
・空を背に蝋梅咲けり目に見えぬ標(しめ)あるとき花の空間 「春雪ふたたび」所収。 標(しめ)とは、「目的・目印」の意。蠟梅が咲くのは春先。春の訪れである。作者はどこかの梅林にいるのだろうか。 そこで蠟梅が咲くのを見た。それが「春の訪れ」を目に見えない形で表している、と作者は感じ取った。「花の空間」。美しい響きだ。 情景が目に鮮明に浮かぶ。そして緊張感。ここに作者の独自性がある。 おそらく、梅林だが . . . 本文を読む
・夕光(ゆふかげ)の鋪道動きゆくわが影が壁に当たりていま立ちあがる「春雪ふたたび」所収。 これも「NHK歌壇」で紹介された作品。 「夕光(ゆふかげ)」は「夕日」のことだが、結句の「いま立ちあがる」にいたく感動した覚えがある。「夕日のあたる鋪道におのが影が映り歩みを進めるにつれ、影が建物の壁に当たり鮮明になる」叙景歌だが、「この鋭さは何だ」と驚愕した。 以前、斎藤茂吉を「黒糖」、佐藤佐太郎を「グラニ . . . 本文を読む
・あらかじめ迫る殺気を絶つごとく猫が尾を立てて行く冬の坂「夕霧峠」所収。 これも「NHK歌壇」で「選者の一首」として紹介された一首。鋭い印象の歌だ。「印象鮮明なるが良し」は斎藤茂吉の言だが、「鋭い印象が鮮明」だ。 この猫の姿は作者にととっても印象的な出来事だったようだ。 印象を鮮明にするのは難しい。焦点を絞らねばならぬ。佐藤佐太郎の言う「表現の限定」作者の言う「言葉の削ぎ落し」。削ぎ落しが少なけれ . . . 本文を読む
・秋たけて炎のごとき花カンナ咲たればひと日炎のこころ「星座空間」所有。 「NHK歌壇」の番組では「短歌平成12年10月号」と紹介されていた。そののち「星座空間」に収められた。この歌集は「緊張感があって」と作者が最も気にいっている歌集だ。 場所が「捨象」されている。佐藤佐太郎の「表現の限定」、作者の言う「言葉の削ぎ落し」。「感動の中心を絞る」のが行き届いている。 また、花カンナの鮮明な色が思い浮かぶ . . . 本文を読む
・冬時雨ひととき霰まじへたる音の経過を夜半に聴きゐつ「夕霧峠」所収。 場所が捨象されている。「表現の限定」「言葉のそぎ落とし」「感動の中心を絞って」いるのだ。「夕霧峠」には秀歌が多いが、この一首もそのひとつ。 特に4句目の「音の経過」なかなか出てこない言葉で作者の独自性だ。その作風は佐藤佐太郎とは明かに異なる。同じ「歌論」をもっていれも、独自性は出せると考えさせられる一首だ。 . . . 本文を読む
・子守唄聴かせし日すでに遠くして子は冬の帆立てて操りゆけり 「夕霧峠」所収。 子の親離れの歌である。「愚母賢母」の歌とちがい、「娘」を(こ)と読まさずに「子」と表現している。子守唄を聞かせた幼児期を回想しているからだ。 焦点は下の句の「冬の帆立てて操りゆけり」の表現。「夏の帆」ではなく、冷涼感がある。子が親離れをする寂しさを象徴しているようだ。 これは比喩だが、どこの海かは「捨象」されている。「表 . . . 本文を読む