・夜のふけに犬は鎖音ひきて眠りのかたち選びゐるらし「夕霧峠」所収。 場所・地名・犬の種類は「捨象」されている。佐藤佐太郎が言う「表現の限定」だが、作者は「余剰の切り落とし」と呼ぶ。「感動の中心」を明確にするために、「個別具体的なものを捨象」するのだ。 「NHK歌壇」のテキストに、作者が「犬は飼えない」と記述していたので、近隣の犬かと思う。 飼い犬が「眠る時にも、鎖に繋がれるのは、拘束」 . . . 本文を読む
・愚母賢母まぎれもあらず愚母にして娘(こ)の決断におろおろとゐる 「夕霧峠」所収。 この歌集は作者が「釈超空賞」を受賞したものだ。それだけに秀歌が多い。「愚母」は「愚かな母」、「賢母」は「賢い母」。作者は己を「愚母」という。 これを自虐と思うなかれ。「娘(こ)の決断」。どういう決断かは「捨象」されている。しかし「娘の自立」と容易に判断できる。「巣立つ娘」をまえに、心の動揺を抑えられない作者の姿があ . . . 本文を読む
・足らざるを補ふごとく街の上夕べふたたび春の雪ふる 「春雪ふたたび」所収。一読してわかる通り歌集のタイトルのネーミングを示す作品だ。 どこの街かは詠みこまれていない。「捨象」されているのだ。佐藤佐太郎の「表現の限定」である。 春の雪が「まだ降り足りないように」夕暮の街に降る。「足らざるを補ふごとく」という比喩によりそれを言い当てている。作者自身の独自の視点でもある。 「言われてみれば確かにそうだ」 . . . 本文を読む
・ブロッコリの青き球実(たまみ)を選びゐる老いし手貧しく生きしものの皺「彩紅帖」所収。作者は夫君の出張に伴って渡米した。1960年代の末だった。夫君のハーバード大学への留学のためボストンに滞在。そこで目撃した「黒人街」の一首である。 東京育ちの作者には驚きだったろう。「公民権運動」の始まる前。社会からの人種差別の創造に絶する。作者の社会詠といえる。 地名と時刻は捨象されている。「表現の限定」がここ . . . 本文を読む
・破裂音に似て巨大なる鉄杭を打ち込むときに空気震(おのの)く「彩紅帖」所収。 都市詠である。地名と時間が捨象されている。佐藤佐太郎のいう「表現の限定」だ。 としの恐怖感に似た心情が「破裂音」「巨大なる鉄杭」「打ち込む」「震く」と四連発で象徴されている。 いずれも佐藤佐太郎の表現技法を引き継いでいるが、作風が佐太郎とはまるで異なる。尾崎左永子の独自性だ。 歌論や表現技法を引き継いで、独自性を出す . . . 本文を読む
・暗黒を犇めき迫る地下鉄の音の重積に圧されつつ佇(ま)つ 「彩紅帖」所収。 都市詠である。作者は離婚ののち自立すべく様々な仕事に従事した。「とにかく生活しなければならない」。女性の職域が極端に狭い1960年代から70年代までは、女性が働くのは様々な困難を伴っただろう。現代以上に。 作者がボーボワールに傾倒したのもこの時期。「子育てをほっぱらかしてボーボワールの講演を聞きに行った」とは作者の弁。 だ . . . 本文を読む
・帆走を終へたる舟が春光を畳むごとくに帆をおろしをり 「春雪ふたたび」所収。 場所を明記していない。捨象されているのだ。帆船であるのはわかる。これはおそらく、江の島のヨットハーバー、あるいは横浜市のみなとみらい。どちらでも良い。帆船が帆を畳む一瞬に焦点をあてているのだ。 不思議なもので、「個別具体的なもの」を捨象すると情感が増す。佐藤佐太郎は「表現の限定」といい、尾崎左永子は「余剰に切り落とし」と . . . 本文を読む
・落日を送る岬の夕凪に聴こゆ万騎疾走のおと「春雪ふたたび」所収。 地名は捨象されているが、これは稲村ケ崎の故事を素材とした作品。鎌倉時代の再末期。鎌倉をせめあぐんだ新田義貞は、切通を攻めずに海岸沿いから鎌倉に攻めいった。 稲村ケ崎の浜辺に、日本刀を投入し、引き潮を祈った。潮が一瞬引いて、新田軍は鎌倉に突入。「太平記」の記述だが、歴史的事実の真偽より、これを素材にして作品化した作者には脱帽。「NHK . . . 本文を読む
・夜の運河なめらにしてそこに水ありと知らるるほどの明るさ 「夕霧峠」所収。 作者はこの歌集で「釈超空賞」を受賞した。選者を担当していた「NHK歌壇」でも「選者の一首」と紹介されていたから、かなりの自信作だろう。当時作者は「運河の会」の運営委員をしていた。「運河の会だから運河を詠むのではないけれど」とコメントしていた。 「夜の運河」は美しい。都会の運河の水は濁っているが、ネオンサイン、ビルの窓からさ . . . 本文を読む
・年を経て相逢ふことのもしあらば語る言葉も美しからん「さるびあ街」所収。 離婚した相手を想定した作品。「NHK歌壇」で作者は「あの頃は甘かったのよ」と発言していたが、正直な発言と思う。 離婚は悲しい、苦しい、精神的打撃を受ける。作者は、学生結婚に失敗したが、相当に悩み、苦しんだはずだ。 そういう「離別」を、このように美しく詠えたらと思う。 尾崎左永子の代表作のひとつだ。 . . . 本文を読む
・悲しみの余韻のごとくつばひろき帽子が白く遠ざかりゆく 「春雪ふたたび」所収。 相手は誰か詠みこまれていない、別れた場所も詠みこまれていない。「悲しみ」だけに焦点が当てられ、他は「捨象されている」。「悲しみが際立つ」。 悲しみの象徴。「白き帽子」。心を形にしている。その帽子が「遠ざかりゆく」。これが余韻だ。 ただ「遠ざかりゆく」ではなく「白く遠ざかりゆく」がいい。なかなか思い切った表現だ . . . 本文を読む
・死滅せし海苔のたぐひの漂はん干潟の沖は日をたたへゐる「彩紅帖」所収。「浦安周辺」と題する連作の一首。一首でも独立性がある。「短歌が一首でも鑑賞できるように」という作者の矜持だ。都市化が進み荒廃してゆく干潟を詠んだ。「死滅せし海苔のたぐひ」がそれを象徴している。「海藻類と表現せずに、海苔のたぐひ」と表現したのが絶妙だ。 都市化が進む1960年代。批判的な目を通して下の句の美しい表現で締めくくってい . . . 本文を読む
・厚き霧この窓外にきしみゐんあかつきがたに霧笛とどろく「彩紅帖」所収。神経が過敏になるような作品だ。道東の海であろうか。厚岸などは夏でも深い霧が顕つ。地名は捨象され,宿泊所の名前もない。「表現の限定」が効いているのだ。 美しい情景が浮かぶ。「丁寧に詠まれた叙景歌は立派な抒情詩である」といったのはだれだったろう。 美しい叙景歌であり、美しい抒情詩だ。 . . . 本文を読む
・充つるなき日終わらんとして自らを虐ぐるごと辛子溶きをり 「彩紅帖」所収。 自己凝視強い作品だ。こういう作品を「自虐の歌」と評する人がいるが、それは違う。自己凝視は自己を深く見つめること。見つめることで独自性が自覚できるのだ。 「辛子を溶く」が効いている。忸怩たる思いを噛みしめている印象が満ちている。粉の辛子だろうが、洋辛子、和風辛子はどちらでも良い。辛子のパンチのある香りが重要なのだ。「唐辛子炒 . . . 本文を読む
・地下街を歩み来しとき無心にて連れ去られゆく雛のもろ声「彩紅帖」所収。どこの地下街か、鳥に種類は捨象されている。ここが「表現の限定」である。この作品は「連れ去られゆく雛」への「愛おしさ」が感動の中心だ。「連れ去られゆく雛」に人間を仮託しているかもしれない。だが、それは余談。 これ以上の説明のいらぬ簡潔な作品。「シンプル イズ ザ ベスト」といった言葉を連想しる。 . . . 本文を読む