オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

連続テロ事件とインターネット仮想空間

2011年07月27日 | Weblog
ノルウェーで連続テロ事件が発生した。

 こういう事件が起こるたびに、現実社会との乖離について考えさせられる。もっと現実社会に根ざしていればこのような事件は生起しないと思う。この犯人も二重の人格を持っていた。ひとつは善良な一般市民としての人格であり、もうひとつはネット上の過激な国粋主義者としての人格である。この二つが日常生活で結びついていない。唯一結びついた結果が連続テロ事件であったことは悲劇以外の何者でもない。この二つの人格が調和が取れて現実社会でひとつの人格に統合できていればこのような過激な行動に走ることはなかったのではないかと思う。現実社会で一般市民としての仮面をかぶって、ネット社会では過激な国粋主義者として暴走していた容疑者のいびつな社会生活が浮かび上がってくる。

ネット社会は仮想空間でもある。

 はっきり言って、どのような人格でも作り出すことが可能である。しかしそれは仮想のものであって現実とは全く異なるものである。これを現実に引き戻すためには、現実の自分の延長線上であることをきちんと確認することである。たとえば、ネット上に書き込んだ内容を現実社会の自分の関係者に表明しても抵抗も違和感もないことである。これが不可能である事は、ネット上に書き込まれた内容が虚偽、もしくは空想の戯言である可能性が大きい。ネット上の書き込みがたとえ仮名であっても、最終的に責任を問われれば自分の責任の範囲にあって、書き込みの内容についてちゃんと説明できて、最終責任を取れる覚悟が必要だと思う。最初から空想の戯言を書くのであれば、明確に最初に宣言すべきであり、責任が取れないのであれば情報源も論理的根拠も不明で事実と相違し、単なる思い付きの自分勝手な主張である事を明言すべきである。

そういう私もネット社会で好き勝手な自分の意見を表明している。

 しかし、この内容は、少なくとも一度は周囲の家族や同僚や仲間や知人に問いかけて話題に上げて議論した結果でもある。周囲から「そうだよね」と同意を得られる事が条件であり、周囲から「おかしい」と言われたらこれに反論できない場合は、やはり「おかしい」のである。この容疑者がネット社会に展開していた内容を現実社会で表明したらたぶん周囲は「おかしい」というのだろう。これに反論できないまま、もしくは反論できないためにネット社会に逃げ込んで閉じこもってしまったのだろうと思う。本当に正しい事であれば現実社会でも堂々と意見表明できるはずである。このような意味不明の主義主張が堂々と展開できるのもネット社会が仮想空間である証拠でもある。そしてその仮想空間と現実の区別がつかなくなり現実化が可能だと錯覚して起きた事件がこの連続テロでなかったかと思う。

私も仮名でネットに投稿している。

 何故仮名かというと、ネットそのものが善意だけではない事である。善意の者に対しては実名でも構わないだろうが、悪意のものに対して実名を暴露するつもりはない。そして、実名を公表して悪意のものから非難中傷を直接受ける、もしくは被害をこうむる事は私的に許容できない。またそんな人達にいちいち対応できるほど私個人としては時間も体力もない。個人情報をつとめてネット上に流さないように気をつけていても、どこからか私個人宛にへんてこな迷惑メールが来る。どこから情報を得たのか個人名(実名)を特定したメールが送りつけられる場合もある。黙って即座に削除するだけであるが、これだけでも毎日対応するのは大変である。メールの拒否設定も試みるが、次から次へ新しいアドレスにするためいたちごっこである。次から次へ新しいアドレスに変えられるしくみも大いに問題だと思う。

ネット上の非難中傷が個人に集中して炎上する事がある。

 この非難中傷は本当に正当なのだろうか?正当であれば本人に面と向かって正当な意見として直接表明できるはずである。それができない非難中傷は正当な意見とは言えないと思う。多数による暴力であり得体の知れない一時の感情に逆上した行為だと思うし、不当な行為だと思う。炎上そのものがネット社会が仮想空間であることを証明している。まぁ、炎上の原因が正当な内容でないことによるのはお互い様だし、ネット記事が対象者に直接表明しても問題ないものであれば非難中傷もないであろう。お互いの誤解もあるだろうが、理性的に考えれば炎上にまで至る事はないであろう。非難中傷と反対に教唆扇動するのも性質的には同じであろう。連続テロ事件でのネット上の容疑者は非難中傷とは逆に無責任に教唆扇動させられていたのではないかと思う。そこで舞い上がってしまったのではないだろうか。

それでもやはりネット社会は仮想空間である。

 どんなに注意しても根本的に仮想空間であることは変わりない。それだからこそ、現実社会との接点を持ち続ける努力が必要だと思う。今のネット社会を見ていると、現実社会とは完全に分離しているし、完全に分離していることの利点をみんなで共有して活用している。本来は現実社会の延長線上でのネット社会である事が求められるし、あくまでもネットはコミュニケーションのツールでしかない。コミュニケーションの領域を拡大する事はできても、最終的には現実社会での個人対個人の付き合いに収束しなければならない。私の場合は、ネット上の付き合いはつとめて現実社会での付き合いになるように心がけている。ネット上でも「顔」が見える付き合いになれるように心がけている。これがネット社会を仮想空間にしない対策だと思っているし、現実社会での人間関係以上に領域を拡大するつもりはさらさらない。

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