オクトシティー正直村

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民主主義、自由主義の誤解

2023年11月29日 | Weblog

日本は民主主義を史上最高のものと思っている。

 しかし、民主主義は強烈な体制があってその体制に反抗して生まれたものである。そのための民主主義である。ところが、日本には体制に反抗した経緯がない。敗戦により連合国から強要された民主主義である。日本国民が挙国一致で作り上げたものでもない。そのために、単なる制度としての民主主義があり、日本国民の中には民主主義の本来の思想は芽生えていない。体制に反抗して日本国民の意思を貫くためにはどうしなければならないかという具体的なイメージが無い。

政府も制度としての民主主義しか経験がなく、日本国民から国を覆すほどの徹底的な反抗を受けたことがない。

 民主主義の制度は敗戦により連合国からもたらされたものである。民主主義の前は色々な経緯はあるが基本的には封建主義である。封建主義の考えに民主主義が乱入してきた感じである。思想的には封建主義であるが、制度的には民主主義なのである。付け加えられたものは、封建的な考えを修正して民主、すなわち日本国民を主体にして政治を行いなさいという事だったのだろう。政府の権限で思うように国を動かすことが躊躇われて、国民の御意見伺いをすることが課せられたのだろう。

日本国民も封建制度のもとの精神構造に変わりはなかった。

 お上と平民の関係は変わらなかったし、お上の言うことには忠実に従う気風があった。その根本を支えるのは当時の儒教精神であろう。この儒教精神が国を支えていたとも言える。ここに民主主義が入り込んでも、当の日本国民はお上の下僕であり、全面的にお上に協力し日本国のために献身的に奉仕してきた。それにより日本国政府が頼りなくても優秀な日本人の能力と勤勉さによって戦後日本は復興することができた。しかし、これも時代とともに変質してきている。何が変わったのだろう。

民主主義は民衆(国民)が優秀であることが前提である。

 国民が優秀で正しくなければ民主主義は間違った方向に進む。果たして我々国民は優秀で正しいのであろうかと疑問に思ってしまう。少なくとも優秀であるように努力すべきなのだろう。そして優秀であるべく子々孫々を育てていかなければならないのだろう。馬鹿な民衆ばかりになっては国は滅びるばかりである。そして、その優秀な国民の中から更にエリートを選出して国政を担当させてゆかなければならないのだろう。また、そのエリートも育てていかなければならないのだろう。果たして今の日本にエリートと呼ばれる人材はいるのだろうか?

民主主義と封建主義の合いの子は状況によっては優秀であるが、

 お互いの良いところを組み合わせた場合であって、お互いの悪いところを組み合わせると最悪である。封建主義は実権を握る政府が優秀であれば何も問題ないが、そうでない場合は国は衰退することになる。この時民衆が立ち上がり政府を改革できるのが民主主義である。ただ、民衆の力が強すぎて、間違った方向に国を導けば国は衰退してしまう。国民が勝手気ままに自由奔放に自由を謳歌している状況もまた国としての体裁を保持することはできない。秩序ある統制が必要なのである。

秩序ある統制とはなんだろう?

 秩序を作るのは民衆の代表であり、民衆の叡智を集めた集団が必要な統制を司るのであろう。これが代表制民主主義であり、現在が制度的にはその形になっている。そして、代表として認めた者の統制には従わなければならないのである。そして、代表として認められた者は代表としての役割を果たさなければならない。それは、民衆に意見を聞いてそれに従うことではない。一生懸命自分で考えて解決策を見出して方向づけして民衆を牽引してゆかなければならないのである。

一般大衆(国民)はこれに従い、最大限自分の能力を発揮してこの実現に邁進しなければならない。

 代表を選ぶのは自分達であり、その代表の統制には従わなければならない。結果が芳しくない時には適正に評価して次の代表選抜で選択権を行使することができる。これが民主主義だろう。政府が民衆の意見伺いばかりして適正な政策を打ち出すことができず、民衆はこれに従わなければ国は滅びるばかりである。それでも国民が優秀で個々人が良好な働きをすれば国は当分維持できるが、国力は衰退するばかりである。個々人の能力にも限度があるし、目標を失ったバラバラのベクトルでは本来の力は発揮できない。

民主主義の根底は自由主義である。

 国民全員が個人の自由を主張すれば、国は崩壊してしまう。本来、個人は産まれた時から自由ではないのである。あらゆることに束縛され、不自由な中で生活している。その不自由を容認しなければならないのである。ところが、青天井の自由を主張する人が増大している。基本的に民主主義は権利と義務の世界である。権利があれば義務がある。権利だけを主張する自由は許されないのである。この頃は、我儘で奔放な青天井の自由が許されると思っている人達が増えているような気がするし、その人達の無責任な主張があちこちで見られる。困ったものである。


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