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オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

車のデザイン

2019年03月02日 | Weblog

この頃街中でフロントグリルの大きな車が目立つようになった。

 まるで鎧を装着した西洋騎士かスターウォーズのダース・べーダーみたいな面構えの車が得意気に走り回っている。なんかおかしい気もする。果たして今現在フロントグリルを大型化する必要性があるのだろうか?昔であればエンジンに大量の空気を取り入れる必要があったかもしれないが、最新のエンジンはそれほど空気を必要としていないし、強制的に空気を送り込む技術もある。また熱効率もよくなって空冷の必要性も少なくなっている。

今では反対にフロントグリルのない車だって可能かもしれない。

 電気自動車であればエンジンのためのフロントグリルは不要だ。何故あんな大げさなごついフロントグリルを装着しているのだろう。当然フロントグリルは空気を取り込んでいるのだろうから空気抵抗も大きくなるのは必然である。時代に逆行しているような気がするし、はっきり言って無駄である。確かに見た目は派手で精悍で強そうなイメージはあるが、ただの飾りとしてのフロントグリルであればやめた方がいいと私的には思うし、そんな車は買うことはないだろう。

街中を行く車を見ていると、メーカーは違ってもみんな同じに見えてしまう。

 空気抵抗や居住性や操作性や軽量化などを図ってデザインするとみんな同じようになってしまうのだろう。徹底した効率化・合理化・最適化の究極は「みんな同じ」になってしまうようだ。当然といえば当然で、ムダ・ムリ・ムラを省いて行って残ったものはほとんどみんな同じである。ムダ・ムリ・ムラの中に個性があり面白さがあると思う。これを徹底してなくしてしまったら、何にも面白いものはないし、個性もへったくれもなくなってしまう。

だから、フロントグリルを大きくするのだろう。

 車の顔で個性を出すパーツがフロントグリルかもしれない。無駄といえば無駄だが、これこそ個性と存在感を主張しているのかもしれない。だが、デザイナーとしてはあまりにも安易である。もっと美的に個性を主張するデザインを追及すべきではないのだろうか?たぶん、この大きなフロントグリルはみんなが採用するようになれば陳腐化して誰も見向かなくなるだろう。今現在も軽自動車が小さくても存在感を主張すべく大型のフロントグリルを採用しつつある。

軽自動車で採用されればその他の大型車種で採用するメリットはなくなる。

 こんな経験は過去にもあった。RV(Recreational Vehicle)車が全盛であった頃、フロントにブルガードとかカンガルーバーというのがお決まりのように装着されていた。この用途は野生の動物が飛び込んできても突き飛ばして人間の生命を守るものであった。日本国内ではほとんど無用なものであったが、外国車に装着しているのを真似して「カッコイイ」と思って猫も杓子も装着して得意がっていた。

その後この流行は終息した。

 日本国内では動物ではなく人間を突き飛ばして殺してしまう殺人兵器になってしまうのである。人間の行き交うことのない荒野で動物相手に考案された道具は人がひしめく日本では無用の長物だけでなく殺人兵器なのである。この流行は何だったんだろう、何で流行したんだろうと今でも不思議である。何も考えないでただ単に外国の真似をして「カッコイイ」と安易に飛びついただけのような気がする。また、目先だけの独自性を売り物にして世の中を騒がせた企業側の責任も問われるのだろう。

これと同じものは今でも細々と残っている。

 テールウイングである。時々かっこよさげに装着している車を見るが、これは車体後部が浮上するのを抑制して後輪のグリップ力を高めるものだが、普通に市街地を走っている時には全く効果はない。高速道路でもその効果は低いと思う。本来はレーシングカーで有効なものである。しかも本来の性能を発揮するには車体に直接作用するような機構にしないと意味がない。トランクの上に張り付けたようなものでは効果は知れていると思う。こういうことを理解して単なるおしゃれで装着しているのであれば私としては何も文句はない。

昔の車のデザインは効率や合理的だけではなかった。

 デザインそのものの美的感覚が感じられた。それは、自然にあるものの中から優秀な形態を模倣して作られたものであった。時にはライオンやトラであり、ピューマやジャガーであり、魚であり鳥でありその他なのであっただろう。これは形としての美を追求したもので、効率化・合理化だけではなかった。人間の感覚として力強そうに見えたし速そうに見えたし精悍に見えたものであり、それなりにかっこよかった。そしてデザイナーの個性に満ち溢れていた。

AIの時代になったら個性なんてなくなるのだろう。

 ムダ・ムリ・ムラをなくすことは、個性をなくすことである。最適なものだけが人間の追及するものではない。答えが一つであることは人間の最も重要な多様性を殺すものである。AI中心の世界になればなるほど、これに人間の多様性を加味して、さらなる創造的な世界を作り上げていかなければならないと思う。多様性を発揮することが人間固有の個性なのである。



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