オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

一部をもってすべてを語る。

2008年02月08日 | Weblog

「AはBでない」と論じる時、AとBの関係に注視する必要がある。

 AがBに包含されているもしくは交差している場合は、BでないAの部分が存在するし、Bの部分が小さければほとんどがBではない領域となり、ほとんどのAを否定する事になり、Bでないと主張しても説得力に欠ける。AとBが独立していれば問題なくAはBでなくBもAではないが、全くの無関係となって論議にならない。また難しいことを言い始めたが、AとBの領域を丸で表してみれば簡単なことである。

通常「AはBではない」と論じる時は、

 AについてBが全否定している訳ではない。全否定しているのであればAとBの関係を論じる必要はなくAとBは関係ないという表現になろう。二つの領域はAがBに包含もしくは交差している関係と推測される。たぶん、Aの領域を適当にサンプリングしてBの領域であるかどうかを模索し確定しようとしている途中結果としての「AはBでない」という表現なんだろう。少なくともAとBの関係を明確にしようとする意志の現れではあるはずである。

「AはBではない」という論議ではAを全否定することはできない。

 そして、全否定できるのであれば最初から論議の必要はなく、判り切ったことでもある。議論になるとすればAとがBが包含関係にあるか交差関係にあるか、AとBの領域の大きさの比較であろう。このことを明確にして「AはBでない」と述べなければならない。我々俗世間では「AはBでない」よってAは正しくないという理論になりやすい。よく考えてみると論理の飛躍である。

基本的に、AとBが交差してほぼ対等の関係に無ければ意味がない。

 AとBがほぼ同じ領域であれば、Aが正しいのかBが正しいのかの真っ向勝負の議論になる。BがAに比べて小さい場合はほとんどのAを否定することになる。Bが小さければ小さいほどAを否定する領域が大きくなる。AとBの交差領域が大きければ議論はAandB以外の違う部分について議論すればいい。「AはBではない、だからAは正しくない」と結論づける人は、たいがいが極めて小さいBの領域で議論している。よって強烈な全否定となる。体制批判にこの論法が多い。

いずれにしても、Bの領域は認めざるを得ない。

 そして、AとBの領域が共存できるように調整しなければならない。これは領域の面積の話ではなくて質の話である。BがAとなるような条件を見出して改善して行かなければならない。Aの側もBの存在を認めてこれに対応しなければならない。どうすればBがAと同質のものになるかを追求する必要がある。たぶん、Bを取り込むことによってAはより良いものへと変質するであろう。そういう意味でBの存在はAにとって貴重である。AとBが平行線のまま領域を奪い合う戦いをやっていたのでは不毛なままである。
 

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