オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

占星術についての素朴な感動

2008年02月22日 | Weblog

ずっと昔(10年位前)に長崎のハウステンボスに行ったことがある。

 中華街ではランタン祭りが開催中で、ハウステンボスではチューリップ祭りをやっていて、平日のためゆっくりと散策できた。施設が真新しくてしかも充実していて一日では見られないくらいで、是非一度は行ってみることをお薦めする価値のあるアミューズメントパークである。ちなみに「テンボス」とは、「テン(10) ブース(建物)」の意味だそうだ。

その中で、天星館(てんせいかん)という施設を体験した。

 直径17.5mのドームにプラネタリウムと映像で星空を再現し、過去現在未来の天体の動きを指し示す天星時計が未来を予言すると言うものである。観客の中から希望者1名だけ生まれたときの星座をプラネタリウムに表示してくれ、天の声による占いもしてくれると言う。会場は程々の数の観客で埋まっていたが、司会者が希望者を募る段になると誰もいないようであったので、恐る恐る私が手を上げると指名された。星占いなんて本格的にやるのは初めてである。

生まれたときの星座をあの大ドームに特別に表示してくれたのは大感激であった。

 また、天の声の占いも当たっていると言えば当たっており、忠告や戒めも含まれており、「なるほど」と柄にもなく納得してしまった。星占いによると私は何事にも積極的ではあるが頑固者らしい。そして、今後もそれを貫徹することがよい結果を産むらしい。金銭運は浮き沈みが激しく、大きな賭には適していなく堅実を心がける必要があるそうだ。間違っても借金の保証人は止めなさいという忠告である。

愛情運はゆっくり長く続く特徴があるらしい。

 申し訳ないが当たっている。不特定多数の人が同じ内容を聞いたとしても当たっていると思うだろうか?ということは、私個人に特定した内容であろうか?私が与えたデータは名前と出生地と生年月日だけであとは全く初対面である。それともこのような場に積極的に出しゃばる人の特性をつかんで占っているのであろうか?マジックの種明かしを解くみたいな感じである。

占星術で「生まれた時の星回りは決まっている」というのは正しい。

 宇宙の星の動きは規則的であり、各人の生まれた時の星回りも特定でき、将来のある時点の星回りもほぼ「予言」できる。ただし、星回りと個人の運命とが関係しているとは一概に言えない。全く関係ないとも言えるし関係あるかも知れないとも言える。仮に関係あるとしてもどんな関係があるのかを立証することは誰にもできない。多くの人のデータを取って統計上の一般的な傾向を言う事はできるかも知れないが、そのようなデータがあるのか、たとえあるとしても果たして特定できる一般的傾向が見つかるかは疑問である。

それでは、占星術で占った結果は誰が断言しているのか?

 「占い師」の一瞬の閃きである。この結果と星回りは直接は関係ない。関係あるかも知れないが立証はできない。占星術に星回りのホロスコープを使うのはまことしやかな「ごまかし」である。ホロスコープよりも容貌や服装、立ち居振る舞いや話しぶり等から占った方がよっぽど正しい占い結果が出ると私は思う。我々は通常この占いみたいな事を毎日やっている。口には出さないが心の奥底で会う人会う人の人物評定をしている。

占いは、他人が自分のことをどう思っているのかを確かめる行為でもある。

 自分の身近な他人はなかなか自分のことを正直には語ってくれない。時にはそんな会話をしてみたいという欲望の現れが占い願望であろう。しかも、面と向かって直接は言いにくいので仲介役として「ホロスコープ」や「タロット」や「トランプ」や「水晶」や「卦」を使う。うまく計算し尽くされた民族を越えた太古の昔からの伝統ある「占い」の世界である。

「占い」の夢を潰すつもりはない。

 しかし、いかがわしい「占い」でお客を脅して厄払いと称して貢がせたり物を買わせたりする悪徳商法は許せないし、こんな夢を喰う悪人は退治しなければならない。占いをしてもらう側も最後のところは冷静に考えておかなければならない。あくまでもひとつの「お話」として聞いておくという態度をとるべきで一方的に信じ込むのは危険でありおかしい。役に立つことは取り入れればいいし、受け入れられないものは拒否すればいい。前向きに積極的に主体的に受け取ればいいのであり、後ろ向きに消極的に受動的に考えてはいけない。

ハウステンボスの天星館の占星術はなかなか質が高くて、

 存分に楽しむことができた。何よりも夢があって良いし壮大な宇宙は夢をかき立てる。会場の外ではコンピュータによる占星術もやっていて、マークシートに必要なデータを記入すると2から3分で占ってくれた。しかしながら現在はこの天星館はなくなっているようで残念である。そのほかにも、大音響と大画面と座席の振動による臨場感あるホライゾンアドベンチャー、大航海体験館、ミステリアスエッシャーは現在もやっているし、すばらしい庭園のあるパレスハウステンボス、フォレストパーク、ミュージアムモーレンなどがあった。

ハウステンボスの施設は不思議な環境の中にある。

 ハウステンボスの世界と普通の日本の田舎風の景色との落差には唖然とする。まあ夢の世界とはこういうものだろうが、ハウステンボス駅の裏手の純日本風お墓の一群を見た時に夢が覚めてしまった(お墓が悪いというつもりは毛頭ありませんただの実感です)。ハウステンボスの中は迷路みたいで解りづらいのには閉口した。建物の形はそれぞれに違うのだろうが、雰囲気はほとんど同じで、しかも道が複雑に入り組んでいるにもかかわらず道標も少ないので、地図を見ながらでも方向音痴になってしまう。施設の名称も耳慣れないオランダ語のため頭に入りづらい(私も老齢現象が始まっているのかも知れないが・・・)。

特に、イベント会場の入り口を捜すのに苦労した。

 あまり派手に表示してなく、ひっそりと入り口だけがあるという感じで案内標識も少ない。そして、やっと見つけると上演時間が合わずに15~20分待たされる羽目になる。教訓としては、場所をよく確認することと、上演時間の時刻表を案内施設で手に入れて、巡回ルートとスケジュールを組むことである。まぁ、あまりセコセコせずに行き当たりばったりの偶然を楽しむのもひとつの方法であろうが・・・(私がそうであったが、それにしてもよく歩き回った)。

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