オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

「リーダーシップ」ってなぁんだ?

2018年01月04日 | Weblog

リーダーシップとは何だろう。

 私にも解らないが、まぁ、大別して職責からくるものと、自然発生的なものとがあるのだろう。わかりやすくするために、職責からくるリーダーシップを取り除いて考えてみよう。ここに対等な立場のばらばらの初対面の30人の個人の集団があるとしよう。この集団にみんなで解決すべき課題を与えた場合、たまたま、この課題についての解決法を熟知している人がいた場合、この人はこれだけでリーダーになる資格が十分にある。そして具体的にリーダーシップを発揮してみんなの協力を得て課題の解決に邁進できるだろうし、周囲の人達も喜んで協力するだろう。課題が解決する可能性も高い。

誰も解決策を知らなかった場合、

 それぞれの個人の発想に基づく試行錯誤が始まる。いろいろな意見が出るだろうが、その中で妥当性のある案を実行することになる。少なくとも賛同する協力者が必要で、その協力者の多い案が試される。要は最も妥当と思われる案を出した発想者がまずはリーダーシップをとるのである。その次は、この案に基づいて試行錯誤を行う段階で、この作業を効率的に取り仕切るリーダーが現れる。これは発想者と同一の場合もあるし、変わる場合もあり得る。作業のリーダーに適している人もいるのである。この案が失敗と確認されたら次の案を検証する。こうして次々に作業が続けられ、解決策を見出してゆく。

最終的に解決策を見出すのは、

 創造力があり、洞察力があり、総合的な判断力があり、当然広範な知識を保有し、周囲の人への感化力があり、人望があり、魅力的な人物が主人公となってリーダーシップを発揮して問題解決に向かって突き進むこととなる。果たして30人の中にこのような人物がいるか?それは解らないが、能力の程度に応じて問題が解決するかどうかは別として、その中の誰かがリーダーとして機能するようになる。まぁ、自然発生的にはこんなものであろうか。

30人の中からリーダーを見つけ出すのには時間がかかる。

 課題が違っていたら別のリーダーが生まれるかもしれない。得意不得意があって、オールマイティーなリーダーの存在は難しそうである。ところが、イメージとして「リーダー」と言うとオールマイティーな人を想像してしまうし、そうであってほしいと期待してしまう。よく考えてみると、リーダーが全てを実行することなんて不可能なのである。全てのことを掌握するのも不可能なのである。リーダーはその度毎に変えてゆくのが効率的なやり方である。

そうはいっても、コロコロと全体のリーダーを変える訳にはいかない。

 前述の検討は、30人規模の一つの課題に対してであって、これらの集団が多数集まった大規模な組織の頂点にもリーダーがいる。このリーダーは、それぞれの30人規模の集団を率いることになる。この時のリーダーがどうあるべきかを考えなければならない。結局はこの30人規模のそれぞれの集団の現状を把握して徹底的に理解することである。そして、その情報を基にして新たに課題に対する解決策を創造性と洞察力と総合的な判断力と広範囲な知識と感化力と人望と魅力的な人格をもって見出し全体を正しい方向に牽引してゆかなければならない。

私は、果たして何を言おうとしてるのだろう。

 まず言えることは、たとえリーダーであっても解決策に熟知した専門家がいた場合はその人に権限を与えることである。その人が一番リーダーにふさわしいのである。その人物を見極めるのもリーダーであり、適宜総合的な判断のもと指導するのもリーダーである。次は、下部組織のリーダーをうまく活用することである。彼らもリーダーなのであり、そのリーダーがしっかりしていないとその組織で目の前の課題を克服してゆくことはできない。これもある程度の権限を委任しなければ組織は動かない。

何かと言うと、すべて最上級のリーダーの責任にするが、

 形的にはそうかもしれないが、リーダーは上下左右かつ三次元的にお互いにネットワークでつながっていなければならない。そしてそれぞれの与えられた権限のもと有効に機能しなければならないし、相互の調整能力も上下の統制能力も領域を超えたコミュニケーション能力も保有しなければならない。反対に上に立つリーダーはこれらを駆使して職務に邁進しなければならない。自分が命令を発したらすべて思い通りになるのがリーダーシップだと思ったら大いなる勘違いであるし、そんな思い込みには誰も協力することはない。

職務権限を振り回すだけがリーダーシップでもない。

 今回の検討は職務権限を取り除いてみたが、職務権限を振り回さなければならない状況とは、どう考えても正常な状態ではない。30人の集団のモデルで、誰かが強権を発動して一方的に理不尽な提案を強制しても誰も協力しないし、協力してはいけないのである。暴力団に魂を売る行為にも等しい。そんなことをすれば課題の解決策は回り道して遠のくばかりである。一般庶民もトップが強権を発動することを期待してはいけないのである。監視すべきはリーダーのネットワークが有効に機能しているかである。それはとりもなおさず各組織が有効に機能しているかということでもある。そして、全体で出された結論やトップリーダーの指導内容が正しいのかどうかを監視すべきである。それが受け入れられないものであれば、そのリーダーは交代させなければならない。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 人工知能(AI)雑感 | トップ | 悪いことでも許してしまう社会 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事