オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

イスラムに対する日本人の誤解。

2011年01月30日 | Weblog

昔、中東に半年ほど滞在していたことがある。

 私もその頃は中東に対する間違った認識があり、また最初の頃は習慣や文化のギャップがあって戸惑うことばかりであった。しかし、時間が経つにつれてこの異国の習慣や文化が少しずつ理解できるようになって来た。中東とは言ってもほとんどがイスラム文化である。最初に戸惑うのが一日に何度も行われる礼拝の儀式である。朝昼夕とその間に2回とあわせて5回、時間になると街中にスピーカーから礼拝の呼びかけが流れて、それにあわせて時にはモスクでそれができない時は床にカーペットを敷いてその上で、メッカの方向を向いて決められた儀式を行います。

日本人はこの異様な儀式のみを見て異端の感じを持ちますが、

 実は礼拝の前に心身を清浄にする儀式があります。簡単に言うと、目、口、鼻、耳、生殖器、御尻、手、足を清潔にします。敬虔な信者は毎日5回も身体を清潔に保つことになります。最初ホテルの部屋の洋式トイレの横に日本の和式トイレを一回り大きくしたような流しがついていました。その横にホースの先にノズル式のシャワーが備え付けてあります。レバーを握るとウォシュレットのように勢いよく水が飛び出てきます。最初は何に使うのか解りませんでしたが、身体の洗浄のための設備だったんです。イスラムの人はトイレ(大も小も)を済ます度にきれいに洗浄しているのです。

外から帰ってきたら、

 まず足を丁寧に洗います。そして目、耳、鼻なども洗います。鼻は鼻腔の中まで洗うようです。いわゆる「鼻うがい」です。砂漠の地は微細な砂(粉)が舞っていてこれが身体に害を及ぼすので、粘膜を伴う体の穴はすべて洗浄するという感じです。足は通常はごっついサンダルを履いているんですが、足からばい菌が入って化膿したりしないようにと言う配慮のようで、とにかく丁寧に足を洗います。先ほどの和式便器風の流しは足を洗うのにも使うようです。そう言えば、昔の日本でも旅籠で旅人の足を手水桶を使って洗っている光景があったようです。そんなに奇異な行動ではないと思います。

ホテルの共用のトイレは、洗浄の設備を省略しています。

 ただし、私の宿泊したホテルは例のノズル式シャワーはついていました。共用のトイレを使うと、よく便器周りが水浸しになっていました。最初は行儀が悪いなぁと思っていましたが、実は、きれいに洗浄した痕跡だったんです。ある時なんかは、洗面用の流しで足を洗っている人達も目撃しました。こんなこともあって、習慣の違いから共用のトイレはあまり使わないでもっぱら部屋のトイレを使っていました。今考えるととっても衛生的な行為の表しだったんです。水で洗い流すことが清浄の明かしで、紙で拭いたままは許せない行為のようです。そう考えると、日本人よりもよっぽど清潔好きかも知れません。

砂漠の地では、ばい菌は空気感染しません。

 ばい菌も存在できないような環境なので、インフルエンザとかはありません。ただし、接触感染はあるので、清浄を保つのは生きる知恵なんです。だからばい菌が侵入してきそうな身体の部分は徹底して洗浄するのです。滞在中、洗濯物は日本風にポリバケツに入れて蓋をしていましたが、適度な湿気があるとばい菌が繁殖して、強烈な臭気を発します。やはり過酷な砂漠の地でもばい菌は存在しているのです。以後は、ポリバケツをやめて布製の洗濯袋にしました。通気がよければ菌は繁殖しないんです。繁殖に適した環境が与えられれば活動を開始するようで、その快適な環境は人間や動物の体内です。だから、体内に絶対入れない対策をするのだと思います。日本で流行性感冒が発生すると「うがい、手洗い」と注意喚起されますが、イスラム圏では常に生活習慣として清潔を保っているんです。

本当かどうかは知りませんが、

 耳の中に微細な砂が入ると、耳が聞こえなくなるそうです。そのために耳もきれいにするようですね。また、砂漠の地に生きる人は短命で、40歳前後に原因不明で急死する人が多いそうですが、これも微細な砂を吸い込んで特に呼吸器官で発病するのが原因だと聞きました。やはり砂漠の地は過酷な自然環境なんです。この砂漠の地で生きるための知恵をマホメットさんが訓えてくれていると言ってもいいと思います。豚肉を食しないのも、昔は豚にはばい菌がいたために、人々の命を救うための教えであったとも言えます。昔は冷蔵の設備もないので、肉は腐りやすかったし、半分腐った肉を食べていたんです。その匂いを消すためにコショウや香辛料が使われているんです。日本でも昔は四足は食しなかったし、豚肉にばい菌があるのも知っていて、豚肉は完全に火を通して調理するようにと最近でも思われているようです(今は問題なく無菌豚がほとんどです)。

アルコールを禁止しているのも意味があると思います。

 日本人は「飲んではいけない」と思っているようですが、正確には、最初からどこにもアルコールはないんです(闇のものを除いて)。売ってもいないし、提供する店もありません。金持ちは闇の品を手に入れて、自宅内で密かに楽しんでいるようですが、べらぼうに高い値段で買っているようです。日本と違って自宅内は完全に治外法権で、警察権が及ぶことはほとんどないとのことです。当然のごとく日本のようなふしだらなキャバレーやストリップなど言語道断ですが、金持ちの屋敷内ではプライベートで仲間を集めてジプシーダンスを楽しんだりしているようです。アルコールは脱水作用があって、砂漠の地で水が手に入れられない環境ではアルコール摂取は自殺行為に近いものがあります。これもマホメットさんの貴重な教えなんでしょう。そして、私も約半年禁酒状態でしたが、なければなくても済むもので、最後のほうは欲しくもなんとも思わなくなっていました。当然アルコールを摂取しないほうが健康的なのは自明の理です。

イスラム圏の話をすると日本人は必ずテロを連想するようです。

 イスラム圏でもほとんどの人は善良な市民なんですが、テロばっかりが強調されて報道されるために偏った感情を持っているようです。イスラム圏の人は悪いことは一切しません。悪いことは一切禁止されているし、「悪い」と言われること自体が許せないんです。もし「悪い」ことをしたら、一族の恥として全員から追放され、下手をすると国外追放で、まともに生きて行けません。昔であれば、悪い行動を起こした原因の足や手を切り落とされたと聞きます。とにかく子供の頃から徹底して悪いことをしない教育がなされます。それが家族や一族や部族を守るための最低限の基準なんです。今の日本を見てみると、いかに堕落しているかが解ります。子殺し、親殺し、盗み、だまし、などはイスラム圏の人に言わせると言語道断の行為で絶対許されないことなんです。

それでは、「テロ」はどうしてあるのか、

 「テロ」をやっている人は、正義のために戦っているんです。本人達は徹底して悪いことをやっているとは思っていません。悪を絶つための正義の戦いをやっているんです。その戦い方が弱者の戦法で「テロ」という形をとっているだけなんです。日本の軟弱な若者が安易に「万引き」したり「ひったくり」したり「窃盗」や「傷害」を起こしたりするのとは大違いです。根本精神から違います。かといって、「テロ」を容認するわけではなく、早期にこの悲しむべき現実を解決しなければならないんですが、なかなか簡単にはいかないようです。イスラムの人達は強かで頑固なんです。昔受けた相手からの不法な仕打ちは絶対忘れません。中東の紛争の原因が何千年前に由来するところからも解ると思います。「昔を忘れない」というのが彼らのアイデンティティーで、子々孫々にいいことも悪いことも含めて昔を伝える努力を惜しみません。昔がなければ家族が一族が部族が存在する意義がなくなってしまうし、昔受けた仕打ちは未来永劫忘れずに正義のために戦い続けるのが彼らの生き方です。すぐに水に流してしまう日本人とは大違いです。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 日本国の公的債務 | トップ | 競争 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事