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オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

情報の処理の仕方(原発事故報道に寄せて)。

2011年04月11日 | Weblog
情報を受け取って、これを的確に処理する方法は何だろうと考えてみた。

 結局たどり着いた結論は「自分で理解すること」に尽きると思う。また情報を発信する人は少なくとも「自分で理解したこと」しか発信できないと思う。そんな状況で、重要なことは、情報を処理する方法を身につけることだと思った。情報そのものよりも、その情報をどのように処理すべきかを学ぶのが非常に重要だと思った。これさえ身に着けていれば、いつでもどこでも冷静な判断ができるし、冷静な情報発信ができる。「自分で理解」しないで行動していたら、風評被害に扇動に中身のない噂話ばかりになってしまう。

情報を処理する方法は誰に学ぶのか・・・。

 これが、マスコミでないのは明白である。なぜならば、マスコミは報道内容に関して専門家ではないのだ。それでは、専門家から情報を得るのが適切かと問うてみると、そうでもない。専門家は客観的事実とは関係なく専門的見地から情報を発信する。この情報は正しいかもしれないが、一面的な専門的事実であって総合的な事実ではない。この専門家から学ばなければならないのは、専門的な事実を処理する方法であり、これに総合的な要素を加味して自分なりの情報処理を行わなければならない。

総合的な情報処理の方法も専門家から学ばなければならない。

 この専門家の意見に疑問があり受け入れられないのなら、自分なりの総合的判断をせざるを得ない。結局は自分なりの情報処理の方法が信頼できる判断基準だということができる。その判断基準が適正であるかどうかは自分で情報収集して自分で状況判断するしかないと言うことを証明している。ある人の発信した情報を鵜呑みにすることを良しとしない限りは自分なりに理解して自分なりに判断することから逃れることはできない。これが基本であるし、これ以上でもこれ以下でもない。

その道の専門家は、関係正面の情報処理方法を最も良く知っている。

 処理の手順も判断基準も思考方法も最悪の状況も最良の可能性も解決手段も知り尽くしているはずである。これを学ぶべきである。学んで徹底的に理解すべきである。最悪の状況に目をつぶったり、最良の可能性に楽観視したり、解決方法のないことに悲観したり非難したりでは冷静な判断とは程遠い。専門家の判断は判断できないことは判断できないし、解決方法が見出せないものは答が出せないのである。だからといって不満に思ったり不平を言っても何も解決しないし、稚拙な結論を強制することは大いなる間違いの始まりである。

自分には理解できないからと諦めてしまうのは尚早である。

 諦めてしまったら冷静で的確な判断はできない。自分で理解した部分しか冷静で的確な判断はできないのである。受け売りで鵜呑みして情報を処理するととんでもない結果を招くことになる。少なくとも自分で理解すべく何らかの努力はしなければならない。この原則は極めて重要だと思うし、情報を受け取る側も、情報を発信する側も肝に銘ずることだと思う。果たして日本のマスコミがそのような態度を堅持しているのか、日本国民がこのような態度を貫いているのか疑問に思えてしょうがない。是非考え直してもらいたいものである。


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