「おはようございます」、「こんにちは」などのあいさつの意味を詮索しても仕方ない。
ただ単に時候を述べてあいさつ代わりにしているだけである。午前中はおはようございます、昼あたりからこんにちは、日が落ちたらこんばんは、であろうか。相手に発する最初の掛け声でもある。この掛け声がなければ会話は前に進まない。反対にあいさつもしないことは会話を拒否していることでもある。関わりたくないと思っているのだろうから放っておくしかない。
この頃「よろしくお願いします」が気になっている。
これもあいさつ代わりの言葉になっているようだが、問題は最初でなく、最後に言うことである。さんざん会話して、最後に「よろしくお願いします」と言われる。時にはあいさつが終わった後、「よろしくお願いします」と言われることもある。よく考えると、何をよろしくと言っているのかがわからないのである。それでも何かをお願いしているのであろう。
本人も何をお願いしているのか曖昧なんだろう。
要は、「あとは全てあなたにお任せします」と言っているようである。ある意味では無責任な言葉である。安易に使わないようにしたいものである。ところが、これが口癖になっている人達がいる。何でもかんでも「よろしくお願いします」である。結局は何も進展していないのである。注文だけしておいて、「あとはよろしくお願いします」なのである。言われた方も困ってしまうし、結局は現状のままを肯定されたと思って何も新しいことはしないのである。
「よろしくお願いします」はどうでもいいことに使う。
言っている本人にとってはどうでもいい些細なことなのかもしれない。だから「よろしくお願いします」で済ませているのだろう。本人にとって重大なことであったら、もしくは問題があるのなら「よろしくお願いします」では済まされないだろう。ぬるま湯にどっぷりつかって「よろしくお願いします」を連発しているのである。他律本願で自分では何もしていない姿が浮かび上がってくる。
これが国会の席でも良く使われる。
質問して答弁してもらって最後に「よろしくお願いします」なのである。何が問題なのか何を改善すべきなのか全くわからないまま終わっている。ただ単に事実確認しただけであり、答弁した方も何も変えようとはしていない。反対に変える必要もないのである。こんな時間つぶし金つぶしの国会討論が続いている。困ったものである。
中には「よろしくお願い」できない人がいる。
これまた極端で、結局は政治不信で担当大臣や官僚を信用してなくて、リーダーである総理大臣を引っ張り出して吊るし上げようとしている。一介の市民である私でさえもAをBと決めた時、なぜそう決めたのか、その考え方を説明しろと言っても答えはない。あるのは周りの環境に基づく判断だけであり、最後は第6感である。また、すでに決定したことを後になって追求されてもそれは結果論であって、悪いところは現実的に地道に改善してゆくしかない。
要は、現実的に地道に改善すべきものが何かなのである。
これが明確でなく、無責任に相手にお願いしたり、相手の非を追求するだけで終わったりでは何も改善できない。少なくても改善点や問題点ははっきりすべきである。一方的に相手にお願いするだけでは、過去の非の責任追求をするだけでは問題解決にはならないのである。そのあとが重要なのである。いつもであるが、そこから先が見えないのである。敵基地攻撃能力が必要だと言うが、敵基地を攻撃した後をどうするのかが見えないのと同じような気がする。「あとはよろしくお願いします」では済まないだろう。
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