オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

政府の少子化対策のお粗末

2023年02月28日 | Weblog

少子化対策の予算が審議されている。

 予算額については議場で討論されているが、中身の具体的な対策については、あまり議論されないし、その乏しい中身を見てみても、新しい対策が見えてこない。議題に上がるのはお金の話ばかりである。予算規模をどうするか、少子化対策の支援金をいくらにするか、地方自治体への補助金をどの程度にするか、出産手当の増額をどうするか、子育て支援金をどうするか、教育費の無償化をどうするか、などであろうか…。

金を渡せばどうかなるものではない。

 「金を渡すからこれで自由に少子化対策をしてください。」と国民や地方自治体や団体組織に言っても困ってしまう。国として国民の税金を使ってどんな事業をしようとしているかを明らかにして、その事業に応じて国民や地方自治体や団体組織に協力してもらうために国家予算を組むのだろう。ただ予算を膨らまして少子化対策を強化したと言われても、相似形で膨らむだけで、対策にはなっていないと思う。

予算を膨らませれば、無駄が多くなる。

 我々も潤沢な小遣いや生活費をもらえば、無駄使いが多くなるのは当然のことである。少ない生活費で工夫しながら生活しているのが常態であろうし、それでもちゃんと生活が成り立っている。贅沢して無駄使いしたからと言って、生活の質はほとんど変わらない。我々庶民はそのようにして工夫しながら生活しているのである。その生活費が困窮した時に何らかの支援を必要とするのである。

国民全員がそれなりに贅沢な生活ができるようにするのが、目標ではない。

 貧しいなりに生活が成り立っていれば、自立できていれば、何も問題ないのである。ここに一律に平等にお金を渡しても、問題点は何も変わらないのである。お金はまとまって使うことに意義がある。せっかく税金として集めたお金をまたバラバラに配っても何も意味がない。このまとまったお金を何に使うかである。この「何」の部分が全く見えてこない。

薄く広く平等に均等にではあまり意味がない。

 問題となることに集中的に使うことが重要で、問題を抱えている人達を重点に使う必要がある。そのための予算を編成するのが国の役目であり、その予算に基づいて、官僚が、役人が、地方自治体が事業を展開するのである。金を配るだけがお役所の仕事ではない。問題を解決するためには、集中的に重点的に予算を使わなければならない。その集中する場所や重点となるポイントをきちんと判断し決心し実行することが公務員の仕事である。

この頃、この公務員の仕事がおろそかになっている気がする。

 何かと言うと、人が足りない、時間がない、労力がない、お金がない、能力がない、職務範囲外である、など言い訳ばかりのような気がする。それでもやるのが公務員の仕事である。言い訳はいくらでもできるが、前向きな仕事はいつまでたってもできないままでいる。そして、メディアに漏れてくる情報は、お粗末な実体ばかりである。少なくとも、国民個人個人に対する個別の対応が可能な体制は必要であろう。

国民全員にそれぞれ個別の対応をすることは不可能である。

 だからこそ、集中的に重点的に対策を講じるのである。そこを明らかにするところから仕事は始まる。まずは、下部組織が正常に動き出さないと問題点も見えてこないし、具体的な対策もできない。昔の日本はボトムアップ方式と言って、下部組織がしっかりしていて、様々な問題提起や改善提案が盛んに出ていたと思うが、この頃はどうも低調のような気がする。みんな上の顔色を伺いながら指示待ちの仕事をしている気がする。

予算編成は基本的にはボトムアップである。

 下部組織から有効な提案なり事業が上がってこなければ、予算を組むことさえ難しい。現政府がそのジレンマに陥っているのだろう。順番が逆なのである。だから政府としては予算規模を決定することぐらいしかできないようである。いったい少子化対策で日本国として何をすべきなのだろうか?国会の議員さんだけでなく、日本国中の英知を集めて検討すべき課題である。


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