オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

イノベーションの発想にはお金はかからない

2022年09月13日 | Weblog

イノベーションはお金がかかると思っている人が多い。

 私はそんなことはないと思う。イノベーションそのものにはお金はかからない。イノベーションの発想があって、これを現実のものとして実行に移す時にはお金も組織も長期的な展望もリーダーシップも必要となるが、発想するのは個人であり、その段階では何にもいらない。頭で考えるだけである。結局は思い付きであろうが、その思い付きそのものは長い間に考え抜かれて試行錯誤した結果であり、その過去の努力の経緯がないと思い付きは陳腐なものになる。

イノベーションには長い期間が必要なのである。

 長期間ずっと考え続けた結果に新たな貴重な価値ある発想が生まれる。アルバイトや非正規雇用や臨時雇いの人にイノベーションは無理かもしれない。外部からの新しい発想でのイノベーションは可能かもしれないが、それは参考資料こそなれ一時的な思い付きに過ぎないだろう。やはり正社員で長年会社に勤めてきて、問題意識を持ち続けて業務をこなしている間に、ある時突然革新的な発想が生まれるのだろう。イノベーションの主体はベテランの正社員のようだ。

それでも、考えるのにはお金はかからないし、個人の自由である。

 自由な発想こそがイノベーションの始まりである。この個人の発想を大事にしない限りはイノベーションは単なる言葉だけで何も進展しない。そこの部分が大切なのだが、なかなか個人の自由な発想に価値を見出し採用して検討することは難しいことのようであるし、イノベーションが成功しないのは、最初のこの発想が貧困なために「イノベーション」が起こらないのである。日本の場合の昨今の経済不況の根源はここではないかと思う。

金儲けだけでイノベーションは起こらない。

 金儲けに執着した途端に、自由な発想は制限を受け、市場に振り回されるだけである。最初に言った通り、個人の自由な発想にはお金はかからないのである。何を考えようと、莫大なお金と組織力と将来展望とリーダーシップなんて関係ないのである。そんなものに縛られないことが自由な発想の原点だと思う。最初は子供の感性みたいなものから出発しなければならないと思う。そして、その発想を大事にする風土が必要なんだろう。

個人の自由な発想を促すのは何だろう。

 私は、人間関係であり、これを利用したコミュニケーションが重要だと思う。人間関係は組織に縛られない、自分とは全く異なった個性と実力を持った者同士がたくさんつながることにより、素晴らしいイノベーションを生む。イノベーションそのものが二つ以上のものを組み合わせて融合させたものでもある。一つのものをいくら追求しても向上はあるが画期的なイノベーションとはならない。よく組織横断的な思考と言うが、その根底は個人に委ねられている。

組織と組織が共同してもイノベーションは起こらない。

 組織がイノベーションを起こすのではない。イノベーションを起こすのはあくまで個人の独創的な発想である。それを具体的に事業化するのが組織の役割であり、その時に、予算や組織活用や長期展望やリーダーシップを必要とするのだろう。今の日本で欠落しているのはこの個人の独創的な発想である。ある時は改革であり、改善であり、問題提起であり、提案であり、単なる発想であるかもしれないが、これを大事にして温めることこそ重要でないかと思う。イノベーションの始まりにはお金はかからないのである。


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