世の中、何か事件が起こると、その事件に追い回されて「対策」に奔走する。
でも、よく考えると「対策」は「無策」なんだと改めて気づく。対策とは、相手の態度や事件の成り行きに応じて取る手段・方法である。相手からの行動がなければ、また事件が起こらなければ対応しない、もっとひどい言い方をすれば相手からの行動や事件が発生するまでは自分から何も仕事をしない、すなわち無策であることである。
「対策」に奔走しなければならないのは、
日頃から何もしていないためである。日頃から十分な準備ができていれば何も慌てることはないはずである。この頃発生する事件は、ほとんどが「そのようなことは想定していなかった」と対策をする側が言い訳をすることばかりである。それでは、今後どうするかというと、「対応不可能である」と言う。一体どうしようと言うのであろうか。これでは野放しの放置状態になってしまい、ますます事件はエスカレートしてしまう。
何でもかんでも個別に「対策」で対応しようとすることは不可能である。
「対策」には思った以上の労力と時間を要する。なにしろ「ゼロ」から始めるのである。誰が担任し誰が責任者かと言うところから始まる。これでは後手後手になってしまい効率が悪い。少なくともどのように対応するか概略の方針(1H5W)くらいは決めておくべきであり、法整備、組織整備くらいは最低限必要である。そのくらいの準備は金も時間も労力もそれほどかからないはずであるし、かけるべきでない。既存の組織で対応できるはずである。
対応できないのはその時点で準備していないからであり、
何を準備すべきかに思いを巡らせていないからである。責任と権限の付与さえ明確にしていない。それでは組織は動かないし現に動いていない。それなのに泥縄式に特別の組織を立ち上げて対応しようとする。できたばかりの組織で一体何ができるというのだろう。おかしいと思わないのだろうか。
世の中は常に問題を内在し、問題点は常に存在する。
その問題点を解決するための方策は常に考えておかなければならない。それを無かったことにしたり先送りしたり見て見ぬ振りをしたりではいつまでたっても「無策」のままであり、常に「対策」に追われることになる。「知らなかった」「想定していなかった」「予想できなかった」「現状では対応できない」は「無策」を自ら証明しているようなものである。
そして「対策」のために「専門家による対策委員会を設置する」という、
「専門家」は対策を担当する自分達でなければならないのではないのか。何を寝惚けたことを言っているのか、何のために高い税金を払っているのかと怒り狂いたくもなる。そのような仕事しかできない公務員は給料を返納してもらわなければならないし、公務員失格である。
問題点を一番熟知しているのは、業務を実施している現場の担当者である。
その業務に一番精通しているのもその業務の担当者である。その業務の現場の担当者が問題点を見逃したのでは未来永劫問題点を見つけることはできない。まずは業務の担当者が問題点を見いだし明らかにする努力をすることである。次にその上に立つものが問題点を丁寧に汲みあげてやることである。「言っても無駄」「何にも変わらない」「聞いてもくれない」では現場担当者としても口を閉じてしまう。
しかし、だからといって現場担当者が問題提起することを断念してはならない。
長い目で根気よく問題提起し続けなければならないし、どうすれば汲みあげてくれるかに意を凝らさなければならないと思う。説明の仕方が悪いのか、やり方がまずいのか、具体化が不十分なのか、必要性に乏しいのか、目的が不明確なのか等である。それを懸命に考え具体的に実現させることが本当の仕事である。
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