うえぽんの「たぬき鍋」

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ハマの番長、オメデトウ!次は琢朗さんの2000本…!

2006-05-09 23:58:46 | 野球
横浜・三浦、通算100勝達成!

99勝の登板から4回目の挑戦でようやく到達である。まことにめでたい!

彼は1992年、ドラフト6位で奈良県の高田商業高校からドラフト6位で大洋(当時)に入団した(実はイチローや中村紀洋と同期入団)。ちなみに、その時のドラフト1位は、現在どういうわけかメジャーリーグで投げている(爆)斎藤隆!2位は、某マンガで球界初のチーマー選手というキャラで描かれてしまった永池恭男(現・楽天)。3位が、佐々木のフォークよりも遅いストレートで頑張った有働克也(現・横浜打撃投手)。そうそうたるメンバーである。なお、7位指名のY捕手(引退)は昨年夏に売春防止法違反の容疑で捕まった(爆)。

最初に三浦が入ってきた時の印象は、彼には大変申し訳ないのだが「誰?」この一言に尽きる。甲子園には出ていないし、全く情報がなかった。この年の高校生は、天理高の谷口功一(元・巨人-西武-近鉄)や松商学園の上田佳範(日本ハム-中日)や大阪桐蔭高の萩原誠(元・阪神-近鉄)といったスターが甲子園で大暴れしていただけに、三浦は余計に影が薄かったのだ。ところが、入団していきなりファームで6勝をあげ、一軍最終戦(遠藤一彦引退登板)でデビューして、2イニングを無失点に抑えている。それからずーっと毎年一軍で投げ続けているのだから立派なものだ。

最初の頃は、まとまってはいるがフォーム以外は特徴の見えにくい投手だった。スピードは140キロ足らず。むしろ140キロ以上出ている時の方が打たれていた(爆)。変化球は一通り投げられるが傑出したものはなく、制球もそれなりに安定はしていたが「売り物!」と言えるほど目立っていたわけでもなかった。おまけに、ツッパリ風の見た目に反して肝臓が弱く(下戸だそうだ)、ちょくちょくシーズン途中でリタイアしていた。だから、あまり信頼の置ける投手とは言えなかったのだが、年を経るごとに彼のピッチングは熟成され、我々ファンの認識も改められていった。直球のスピードは常時140キロ以上となり、カットボールのキレは球界でも屈指のものに。制球力も一段と安定感を増し、まさにチームのエースと呼ぶにふさわしい投手へと成長を遂げたのだった。今年はフォーム規制の影響もあってここまで2勝止まりだが、きっと盛り返してくれるものと信じている。

横浜みたいな投打の歯車がちぐはぐなチームでずーっと投げていて100勝というのは、巨人とかソフトバンクとかで100勝つよりもより高い価値があると思うのである。これからも、元気で投げ続けていただきたい!!オメデトウ!!
コメント
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