シニアのウエさんの旅日記

神社を軸に全国各地を歩いてます。

神社歴訪ー73.熊野本宮大社

2013-03-15 08:22:37 | 旅行
熊野速玉大社を出て約1時間で熊野本宮大社に着いた。鳥居から入り158段の石段を登り境内まできたら神門はシートで覆われ工事中。先ず神門の左の拝殿で参拝をしてから神門をくぐると正面に立派な本殿が並ぶ。参拝順序は 第三殿(家津御子大神)~第二殿(速玉大神)~第一殿(夫須美大神)~第四殿(天照大神)と言うが後で知ったので失礼した。
参拝後は石段を下り旧社地の大斎原へ、石段下から500mばかり歩くと日本一と称する大鳥居があった。大鳥居の背後の森が大斎原(おおゆのはら)、ホームページを見ると下記。
「熊野本宮大社はかつて、熊野川・音無川・岩田川の合流点にある大斎原(おおゆのはら)と呼ばれる中洲にありました。ところが明治22年(1889年)の8月に起こった大水害が本宮大社の社殿を呑み込み、社殿の多くが流出したため、水害を免れた4社を現在の熊野本宮大社がある場所に移築しました。」
ここからは休暇村・紀伊勝浦へ直行したが、車が走り出してすぐ雨が降り出した、ラッキー。


熊野本宮大社入口


石段


授与所


社務所


神門


拝殿


拝殿横には


第一殿・第二殿


第三殿・第四殿


大鳥居の先の森が大斎原

神社歴訪ー72.熊野速玉大社

2013-03-14 08:08:39 | 旅行
 神倉神社から熊野速玉大社は車ですぐ、駐車場から歩いて戻って一の鳥居から入る。参道には八咫烏神社があり、右に宝物殿がありその横には弁慶さんの像、宝物殿の向かいに聳える梛(なぎ)の大樹は平重盛の手植と伝えられる天然記念物。熊野速玉大社は、熊野三山のひとつとして全国に祀る数千社の熊野神社の総本宮。景行天皇の御世に、熊野三所権現が最初に降臨せられた元宮である神倉山から現在の鎮座地にお遷りになり、これより神倉神社の『旧宮』に対して『新宮』と称する。 境内の一角に法皇上皇たちの熊野御幸の回数を列挙した碑があったが、遠い京都から何度も来ているのに驚き。ここからは熊野川沿いの道を走り熊野本宮大社へ向かう。


熊野速玉大社入口


八咫烏神社


参道


宝物殿


梛(なぎ)


神門


境内


社殿


拝殿正面


熊野御幸の碑

神社歴訪ー71.神倉神社

2013-03-13 08:02:27 | 旅行
 2013年3月1日、新宮に着いたら地面が濡れている、早く廻ろうとタクシーで直行。神倉山には熊野三所大神がどこよりも最初に降臨したと伝えられ、神倉神社は熊野速玉大社奥院とも称された。石段は538段の自然石、前半の200段は急傾斜で手摺りも無く、何回かは手をついて登った。毎年2月6日夜に行われる例祭は、古代以来の熊野山伏の伝統をもつ。白装束に荒縄を締め、ご神火を移した松明をもって、神倉山の山頂から急な石段をかけおりる、勇壮な男の火祭り「お燈まつり」としてテレビでも放映された。
 山頂の社殿の背後に圧し掛かるように立つ大岩がご神体のゴトビキ岩、花の窟神社の「陰石」と一対をなす「陽石」と言う。ゴトビキは”ひきがえる”だと言うが、下から見上げると男性そのもの。境内からは新宮市内が一望。ここからはレンタカーを借りて熊野速玉大社と熊野本宮大社へ、この日は後半雨の予報なので急ぐ。


神倉神社の社殿とゴトビキ岩


神倉神社入口


鳥居


石段


中段にある摂社


また石段


境内入口


見上げると


最後の石段と社殿とゴトビキ岩


社殿前から見た新宮市街

神社歴訪ー70.花の窟神社(はなのいわやじんじゃ)

2013-03-12 08:29:51 | 旅行
 津駅から列車に乗り熊野市駅に着いたのが4時5分、翌日の天気予報が思わしく無いので、宿に行く前に済ませてしまおうと駅から20分歩いて花の窟神社に行った。この神社は古来から社殿がなく、高さ45米の石巌壁の前に壇を作り、玉垣で周う拝所を設けている。伊弉冉尊(いざなみのみこと)の墓所とも言われ我国最古の神社と称している。
 高さ約45メートルの巨岩である磐座(いわくら)がご神体。この巨岩は「陰石」であり、翌日行った新宮市の神倉神社のご神体であるゴトビキ岩は「陽石」であるとして、一対をなすともいわれている。御縄掛け神事では、およそ10メ-トルの三旒の幡形、下部に種々の季節の花々や扇子等を結びつけたものを、日本一長いともいわれる約170メートルの大綱に吊し、大綱の一端を岩窟上45メートル程の高さの御神体に、もう一端を境内南隅の松の御神木にわたす、と言う、離れてみると大綱が見えた。


花の窟神社入口


由緒


参道


神門


拝所


ご神体


巨岩


御子(火神)の拝所


大綱が見えた


帰り道の獅子岩

神社歴訪ー69.結城神社

2013-03-11 13:55:28 | 旅行
 諸国一宮68社は掲載終了、続けて、訪れた各地の神社を掲載します。
2013年2月28日、南紀を廻る旅に出る。最初に訪れたのは津市の結城神社、ここの枝垂れ桜は有名だが残念ながら今年は開花が遅れやっと咲き始め、それでも見事な梅木ばかりで満開はさぞやと思われた。この神社は後醍醐天皇の鎌倉幕府討幕運動に参加し、建武の新政以後の南北朝時代にも南朝方で戦った結城宗広を祀る。1824年津藩の藩主藤堂高兌により社殿が造営され結城神社と呼ばれるようになった。