シニアのウエさんの旅日記

神社を軸に全国各地を歩いてます。

お寺巡りー51.西国18番・頂法寺(六角堂)

2013-10-26 08:26:26 | 日記
 六角堂 頂法寺、京都市
2010年4月5日、頂法寺(通称・六角堂)へは六波羅密寺から歩く、四条大橋を渡り先斗町を横目にみて烏丸まで歩いて北に向う。六角堂は烏丸通りから1本入ったところにあり、今ではオフィス街の谷間に埋没した感じだが、しっかりとした存在感がある。
境内は狭いながらも巧く配置されている、本堂前のロープで仕切られた中に六角形の石がありその真ん中の穴が京の中心とされる事から”へそ石”と呼ばれている。六角堂を出て5分も歩くと是非行きたいと思っていたイノダコーヒー本店があった、苦味のきいた”アラビアの真珠”を飲みレモンパイを食べた、定番だが美味しかった。




















お寺巡りー5.坂東5番・勝福寺

2013-09-06 07:48:42 | 日記
 飯泉山・勝福寺(飯泉観音)、神奈川県小田原市
2006年4月12日、「お城と桜の旅」の帰途、三嶋大社を出て時間に余裕があったので、箱根を越えて小田原に出た。勝福寺に着いたのは4時半頃、三嶋から1時間ちょっとで着いてしまった、国道1号線も渋滞無しは有難い。やはり境内は閑散として参詣者はいない。ここは二宮金次郎が14歳の時、旅僧が「観音経」を訓読するのを聞き、「利他」に生きることを決意した所で、金次郎本尊礼拝の像がある。 境内の大銀杏は樹齢千年と言われている。3日間のドライブの最後の訪問地、ここを出る時にはフロントガラスに名残りの桜の花びらが数片貼り付いていた。






神社歴訪ー101.宇奈岐日女神社(九州旅)

2013-04-14 07:21:25 | 日記
 湯布院の宿に着いたがまだ陽が高い、宿から散歩に出たら神社があった。偶然の出会いだったが、参拝終わったら神社の前に観光馬車が停まった、湯布院では名所の1つらしい。宇奈岐日女はかつて湖であった湯布院を盆地に変えた女神であると伝えられている、しかし、ご祭神の中にはこの女神の名は無く、国常立尊など六柱となっている。社伝によれば、創祀は景行天皇12年10月とされる古社。境内には平成3年の台風で倒伏したご神木の切株が保存されているが、樹齢600年・樹高55mだったと言う。


宇奈岐日女神社入口


鳥居


由緒


参道


ご神木の切株


社殿


拝殿正面


摂社


神門


観光馬車

神社歴訪ー77.潮御岬神社

2013-03-19 07:52:34 | 日記
 南紀旅の3日目、那智から串本へ、本州最南端潮岬の灯台に行ったら、灯台の後ろの方に神社があった、潮御岬神社と言う。小さな神社だが由緒は古いらしい、景行天皇28年御崎の「静之窟」内に少名彦命を勧請したのが始まりで、その後「静之峯」、「潮見の端」へ遷座した。1869年(明治2年)に潮岬灯台建設のため、旧社地「静之峯」に遷座した、ち言うから灯台の守り神なんでしょう。主祭神の少名彦命(すくなびこなのみこと)は大国主命の国作りを助けた小人神で、穀物霊、山丘の創造神。国作りの途中で熊野御崎より常世国に去ってしまったと伝えられる。


潮岬の灯台


潮御岬神社入口


参道


鳥居


石段


境内入口


社殿


御綱柏


拝殿正面


石段途中から



神社歴訪ー76.熊野三所大神社

2013-03-18 08:35:40 | 日記
 那智山から下ってきて、海岸に沿った国道に出たところに補陀落山寺があった。ここは補陀落渡海の住僧を出した寺として知られている、補陀落渡海とは、南の洋上に補陀落浄土を求め死を賭して漕ぎ出す信仰のことで、9世紀から18世紀までの間に20数回が試みられていると言う。
 この補陀落山寺の隣りが神社になっている、昔は補陀落山寺と一体だったが、明治の神仏分離に際して補陀洛山寺から独立した。九十九王子のひとつである浜の宮王子の社跡に建つため、浜の宮大神社(はまのみやおおみわしろ)とも呼ばれる。境内には樹齢800年とも言われる夫婦楠が聳えていた。


熊野三所大神社入口


境内


拝殿


由緒


本殿


本殿


神武天皇頓宮碑


夫婦楠


補陀落山寺


補陀落渡海船