シニアのウエさんの旅日記

神社を軸に全国各地を歩いてます。

現存天守12城+8城 19.大洲城

2013-08-31 07:36:57 | 旅行
 大洲城の歴史は、鎌倉時代末期、伊予国守護宇都宮豊房の築いた地蔵ヶ岳城に始まると言われている。 慶長14年(1609)脇坂安治が淡路国洲本より移った時に州本から移築されたと推定される天守は、明治維新には保存されたものの、明治21年(1888年)老朽化により、解体された。その天守を平成16年に、史料をもとに木造で忠実に再現したものが現在の天守。
 2013年6月1日、宇和島城を見た翌日、大洲に寄り、臥龍山荘を見てから大洲城へ。駐車場に車を置くと、石垣を組んだ小高い丘の上にお城が見えた。石垣に沿って登って行くと見事な天守が聳えていた。天守に入ると、木肌は新しいが太い柱や梁、急な階段など昔の天守と同じ構造で、城郭建築特有の迫力ある木組みが見られた。木材の調達などご苦労が多かったろうと感心した。天守の最上階から四方を眺める、肱川が見渡せ、湾流している様が判る。天守に隣接した高欄櫓に入ると、梁も柱も古色を帯びている。高欄櫓は1860年に再建されたままの重要文化財だった。ここからは大洲を離れ松山に向かう。


駐車場から見上げると


石垣に沿って登る






巨樹


天守


階段


天守からの眺め


天守天井


高欄櫓内部

現存天守12城+8城 18.伊賀上野城

2013-08-28 07:20:48 | 旅行
 伊賀上野は江戸時代は藤堂藩、築城の名手とされる藤堂高虎が古い城の大改修をして一旦は5層天守を建設したが竣工直前に徳川家を憚って壊してしまった。現存する伊賀上野城は昭和10年に造られた模擬天守で正式には伊賀文化産業城と言われているらしい。藤堂高虎が築いの高さ約30メートルの石垣は壮観、遥か下のお濠を覗きこむと怖いくらい。長年日本一といわれてきた(実際には大坂城が最も高い)。
2010年3月14日、中部神社巡りの初日、伊賀一宮の次に行った。模擬天守は丁度修復中でもあり入らなかった。
    (明日明後日は休みます。)




















現存天守12城+8城 17.小田原城

2013-08-27 07:36:55 | 旅行
 小田原城は北条早雲以来の北条氏の本拠だったが、秀吉に滅ぼされた後は、大久保氏・阿部氏・稲葉氏・大久保氏、と続き、箱根の関所を幕府から預かる立場であった。元禄の地震では天守や櫓などが倒壊し、1706年(宝永3年)に再建された天守も明治になって解体された。現在の天守は1960年(昭和35年)RC構造によって外観復元されたものだが、天守の本来の姿を忠実に再現したものではないとの事。
 2012年4月5日、お花見旅で、駿府城公園・三嶋大社を見た後で小田原で降りて行った。北入口から入ると桜が出迎えてくれる。登り切ると本丸広場、満開の桜があちらこちらに。桜は山腹に多い、見降ろしたら報徳二宮神社の看板がある、小田原は二宮尊徳(金次郎さん)の出身地、坂を下りてお参りする。参拝後坂を登る途中にシャガが咲いていた。天守閣に登り四方を見渡す、箱根・相模湾・丹沢などの他に、秀吉の小田原攻めの時に一夜城を築いた石垣山も見える。天守閣から出ると目の前に桜、ここからは駅に戻って一路帰宅。




















現存天守12城+8城 16.和歌山城

2013-08-26 07:49:39 | 旅行
 和歌山城は豊臣秀長が築城を始めて、関ヶ原後は浅野幸長が城主となり基礎を造った。元和5年(1619年)には家康の第十子徳川頼宣が城主となり大規模な整備をし、徳川御三家の居城として繁栄した。戦前は嘉永3年(1850年)に再建された天守閣が残り国宝になっていたが、戦災で焼失、昭和33年鉄筋コンクリート造で復元された。
 2010年11月20日、朝飯前の散歩で日前宮に詣で、朝食後は紀三井寺の石段を登ったら疲れて、2千円の奮発してタクシーで和歌山城へ行った。大手門から入ると右側の石垣の上に大きな楠がある”一の橋の樟樹”と立札にあった。更に進むと虎さんが寝そべった像があったがちょっと迫力無い。和歌山城の本丸は標高49mの虎伏山の山頂にある、表坂から登る。石段を登ってから山を迂回するように進む、楠が多いのに感心する。本丸に登って行くと石垣が様々に変化しながら続いてゆくのが面白い。天守に登ったら紀ノ川の河口が良く見えた。本丸から裏坂を降りて”鶴の渓”に出る、このあたりの石垣は野面積みで相当に古く初期の石垣ではないかと言われている。鶴の渓から西の丸庭園に入ると池の向うに平成18年に再建されたばかりの御橋廊下が見える。西の丸庭園は昔から紅葉渓の名で親しまれてきた。池を廻って御橋廊下へ、御橋廊下は藩主とお付きの人だけが二の丸と西の丸を行き来するために架けられていた橋。御橋廊下の中を通り抜けて二の丸広場へ、紅葉の中をぶらぶら歩いたら大手門に出た、一の橋を渡って城外へ。ここからは和歌山市駅まで歩き南海電車で大阪へ。


大手門





石垣








天守から


鶴の渓


御橋廊下が見える


西の丸庭園

現存天守12城+8城 15.大阪城

2013-08-25 07:39:21 | 旅行
 「太閤さんのお城」とも呼ばれている大阪城は大坂夏の陣で落城し灰燼に帰した。その後、2代将軍徳川秀忠によって1629年(寛永6年)に再建されたが、1665年(寛文5年)には落雷によって天守を焼失し、以後は天守を持たない城であった。昭和になって、昭和天皇の即位記念事業として、1931年(昭和6年)に天守閣が再建され、大阪城公園も開園した。その後、大阪大空襲でも倒壊すること無く現在に至っている。
 2013年3月4日、南紀旅の最後に大阪に泊まり、生國魂神社に参拝してから大阪城公園へ行った。公園は広い、地下鉄大阪ビジネスパーク駅で降りて大阪城ホールの横を抜けて外堀を渡り、極楽橋から内堀を過ぎて天守閣に来た時には草臥れた。天守閣に登ってから梅林へ、南紀では裏切られた梅花は、最盛期とは言えないが見頃にはなっていた。