ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
小熊正二の初タイトル奪取から40年
今から40年前の今日74年10月1日に日大講堂で行なわれた
WBCフライ級タイトルマッチで挑戦者の小熊正二が王者のベツ
リオ・ゴンサレスに2-1の判定で勝ち、初挑戦で世界タイトルを
奪取した。
王者のゴンサレスは3年前の4月に大場政夫の初防衛戦の相手
として来日しハイテンポな動きで大場を翻弄して大いに苦戦させ
たのだが僅差の判定負けでタイトル奪取ならず、7ヵ月後の11月
にWBCタイトルを奪取すると一旦ベニス・ボーコーソーに敗れた
ものの王者が返上したため決定戦に勝って返り咲いて3度目の防衛
戦だった。
両者は5月に小熊の故郷の郡山でノンタイトル戦で対戦し小差の
判定で小熊は敗れたものの、善戦したという事で10位でのタイトル
挑戦となったのだ。
試合は小熊が攻勢をかけ王者が捌くという展開で進み、ダウンや
ダメージを与える決定的なシーンはなかったものの3Rや9Rに王者
を守勢一方に追い込むなど小熊の攻勢が目立ったので新王者誕生の
雰囲気の中で終了のゴングを聞いた。
採点はベネズエラ人ジャッジが148-144でゴンサレスとしたものの
日本人ジャッジは147-143、メキシコ人レフェリーは148-144で小
熊を支持しての新王者誕生だったが勝利を確信していたゴンサレスは
判定負けの発表に怒り心頭で勝利者トロフィを蹴飛ばして壊してしまう
という醜態を演じたのだった。
今にして思えばゴンサレスは後にロレンソ・パーラがやったような
相手の突進をサイドステップでかわしジャブなどを打ち込んでポイン
トを掠め取るというスタイルだったのだろうが、当時は完全なラウンド
マストではなかった事もあり小熊の攻勢が評価された形だった。
当時の小熊は23歳と若くクレバーな戦い方をするので長期政権を
期待されたのだが、意外にも小熊の対中南米勢相手では唯一の勝利と
なっていまうとは当時は全く考えられなかった。
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実は小熊はタイトル奪取までは‘幸運な男’だったのですが、初防衛戦で僅差の判定負けをしてからは王者に肉薄するものの悉く際どい判定で負けたり引き分けにされたりと悲惨でした。
特に小熊から大熊とリングネームを変えて迎えたゴンサレス3戦目で一方的に攻め込みながら引き分けにされたりとホントに不運な男でしたよ。
だからソウルで奪回した時には思わず万歳しました。
小熊は試合ぶりがクレバーすぎるためか、世界戦でも
煮え切らない試合ばかりをやってまして同時期に活躍した具志堅と比べられてました。
ところがキャリア唯一の海外試合となったソウルでの戴冠試合は、自らのタイトルを奪ったミゲール・カントからタイトルを奪取し再戦でもダウンを奪って引き分けた朴賛希相手でした。
朴は3度目の防衛戦でも高田次郎を元日に破ったエスパダスまでKOしてましたから小熊不利の予想は拭えなかったのを見違えるような素晴らしい試合内容でボディを攻めKO勝ちでしたけど、国内での初防衛戦ではまたも煮え切らない内容の試合を見せられてガッカリしたのを覚えてます。