ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
ロマンは追いたいが、勝たないと意味がないラグビーW杯
日本、フランスに敗れる=イングランド、白星スタート―W杯ラグビー(時事通信) - goo ニュース
昨日からラグビーのW杯が始まり、ジョン・カーワン ヘッドコーチ率いる日本
代表が今日フランスと初戦を戦い後半一時は4点差まで食い下がったものの
残り15分で3トライをたたみかけられ21-47で敗れた。
ラグビーW杯は第1回大会が87年とサッカーに比べ比較的歴史は浅いのだが
南アフリカで行われた第3回の頃から急速にプロ化が進んだのに対し、頑迷な
アマチュアリズムに拘っていた日本は その流れに乗り遅れ第3回W杯では準
優勝したニュージーランドから今でも大会記録として残っている17-145という
歴史的な惨敗を喫し一般のスポーツファンの関心を急速に失う。
しかも93年からプロ化したサッカーが98年のフランスW杯に悲願の初出場を
果たしてから4大会連続出場し02年と10年にはグループステージを突破するなど
着実にレベルアップしているのに対し、ラグビーは91年の第2回W杯でジンバブエ
に勝って以来 前回のフランス大会の最終戦でカナダと引き分けるまで13連敗を
喫していたのだから‘代表チームの強弱とファンの数や一般ファンの関心は比例
する’という通説を裏付けるようにサッカーとのメディア露出の差は歴然としている。
そこでラグビー人気を回復するための起死回生策として2019年W杯の日本開催
が決まったのだが、06年の男子バスケットボール世界選手権のように開催国が
グループステージ敗退となれば全く盛り上がらないのは必然だ。
コンタクトスポーツであるラグビーは体の小さい日本には不利な面があるものの、
それを補えるのが外国人選手。
他の競技と違い所属協会主義を取るラグビーは国籍に関係なく普段プレーして
いるチームに3年以上在籍すれば違う国の代表歴がない選手に限り代表選手と
して出場できるという事で今日のフランス戦では15人中6人が外人選手という
陣容だ。
これに対して松尾雄治らW杯以前の元日本代表の面々は‘日本代表なのだから
日本人だけで臨むべきだし、例え勝てなくても日本のラグビーで戦う事が大事’
という持論を展開している。
確かに松尾らがプレーしていた頃の代表は世界相手に勝てなかったものの創意
工夫で‘小が大を倒す’という戦術を編み出して世界の尊敬を集めていたのも
事実。
ただしプロ化した現在のラグビー界で‘自分達のラグビー’のみに拘って負けを
繰り返していてはコアなファンは応援してくれても一般のファンやマスコミへの
露出も減ってしまうのは目に見えている。
それを考えると‘結果’を求められるW杯がある以上‘自分達のラグビー’の
要素を含めながらも世界的な流れを取り入れないといけないのは仕方ない
だろう。
世界相手に結果を出せない競技には 明日はないのだから。
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その点ではなでしこは中国の凸凹ピッチでも何ら変わらない安定感を示したあたり頼もしい限りです。その昔プロ野球の阪急の全盛期、常打ち球場以外の山陰や東北シリーズでも概ね相手を圧倒していた印象なのですが、常勝チームたるものはどんな環境であっても創意工夫でもって結果を出せるものなんですよね。ロンドンのピッチはどういう状態なのか分かりませんが、なでしこには王者の誇りを持ちつつも、過信せず常にチャレンジャーのつもりで一戦一戦戦い抜いてほしいと願っています。
東福岡はかつてサッカー、今正月にラグビーが全国連覇を果たすなど「野球以外」では大舞台に強い印象ですね。甲子園でさほど上位進出の印象のない同校。。。若生監督が率いてたなら下野が3試合連発の01年春は優勝だったかも知れません。一昨年に九国は帝京と互角の戦いを見せ、今春は準優勝。さかのぼって東北時代はダル、横田、真壁など個性派のチームを率いても準優勝などありましたからね。福工大城東は少し停滞気味ですが、柳川、西短など切磋琢磨して久々の福岡勢優勝を私も大いに期待しています。
ラグビーの場合W杯が行われる以前は‘大型チームは
敏捷性がない’とか何かしらの弱点があったのですけどプロ化してからは‘小よく大を制す’スタイルを大型チームがやっているので歯が立たない状態なのですよ。
ロンドン五輪はサッカーの本場だけに芝はアジア予選とは雲泥の差でしょうから、なでしこのパスサッカーが生きると思います。
東福岡は今でこそサッカー&ラグビーが全国優勝を
果たしてますけど、昭和の頃は決して強くなかったのですよ。
それが負けを糧にして強くなっていったのですけど
野球は同じ失敗の繰り返しですから、監督を解任しないとダメなのですよ。
東福岡、そうですよね。サッカーの連覇も今世紀に入ったあたりでしたし、ラグビーも07年度に伏見工を下したのが福岡電波以来の県勢日本一でしたからね。智弁和歌山の高嶋監督にしても何度か初戦負けを繰り返してパワー不足を痛感。そこから激変して常勝軍団を作り上げていったのですから。。。目標を立てて一つずつクリアしていくことが肝要なのは言うまでもありません。まず甲子園出場、そして初勝利、上位進出、全国制覇とランクを上げていくとかしないとそのチームを応援する魅力もなくなりますからね。勝利至上主義も考え物ですが、やはりアグレッシブに溢れた高校野球であって欲しいです。それが甲子園大会が永遠に球児の憧れの聖地であり続けると思うので‥☆
それがラグビー協会の連中は今でもアマチュア気質の保守派が幅を利かせているようですからね。
最近でこそサッカーのように若年層の強化からスタートしましたけど、結果が出るようになるのはいつの
事か?
東福岡のラグビーやサッカーの監督達は学習能力があるのですけど、野球部の監督にはそれがないようですよ。
高嶋監督も93年夏の初勝利から翌年春優勝ですが、
85年春から6連続初戦敗退でしたからね。
智弁和歌山の高嶋監督ですが、奈良智弁時代に3回出場で7勝という実績を考えても和歌山であれほど甲子園1勝が遠いと思いませんでしたよね。高嶋さん曰く「何度目かの出場の甲子園練習の日、バックネット裏から「また負けに来たんか~」という声が耳に入った。ムカッときましたけど、あれで私は一念発起して勝ちたいと思うようになりました」らしいですね。それまで和歌山では県大会優勝までのチームしか作っておらず、それが接戦でいつも敗れ続けていた理由だとか。80年当初、練習試合を頼んでも県内のどのチームも応じてもらえなかったのに、尾藤監督の箕島は快く試合をしてくれた。。。尾藤さんも東尾らの時代、憧れの平安に何度もお願いして練試をしてもらえたものの2軍のメンバーしか出てくれなかった…など辛く苦い経験があったから高嶋監督の気持をよく理解できたのでしょうね。77年春の準決勝、私は山口の智弁が有利かと思いましたが、東はそれ以上に絶好調で箕島が快勝。70~80年代中盤まではまだ尾藤監督の方が貫禄ありましたよね。
和歌山県勢は84年に箕島が初戦で取手二に逆転負けしてから90年に星林で止めるまで6連敗してますね。
智弁和歌山が甲子園初勝利を挙げるまで夏は4連敗を喫してますので和歌山県人の‘また負けるために云々’という気持ちは分からないでもないですし、特に公立の箕島の人気がありましたからね。
だから智弁が甲子園で負け続けていた間‘箕島が出ていれば’と考えた和歌山県人は多かったのではないでしょうか。
ただ人生何事もそうですが、一旦壁を破ると一気に
突っ走れるもので智弁和歌山を見ると特にそう思えてしまいますよ。
甲子園に出るまで苦労した池田の蔦監督や取手二・常総の木内監督などもブレイクすると一気に常勝チームへと変身させましたからね。76年春に4強に導いた東洋大姫路の梅谷監督も77年夏優勝、79年春と82年4強と強い東洋の黄金時代を築きました。沖水の栽監督も然りですが、勝ち上がるコツ(勝負勘)はそんな成功体験を繰り返すうちに養われるのでしょうね。高嶋監督は見るからに熱血漢で負けず嫌い。周囲の心ない声も大いにバネにしてワカチを最強軍団へと育てあげたのでしょうね。思えば同監督が去った当時の奈良智弁も甲子園で初戦6連敗でしたから’今度こそ勝ってくれ‘といつも期待したものでしたね。その間に86年夏にライバル天理が初優勝。89年夏にようやく初戦勝利した際に’あ~あの山口で勝って以来の校歌か‥‘と感慨に耽っていましたよ。
Numberの高校野球特集によれば83年に池田が中京に勝って抽選の結果PLとの対戦になった時は‘1番楽な相手を引いた’とみんなで喜んだようですね。
1番当たりたくなかったのが横浜商で次が久留米商だったようですけど、個人的にはPLには何かやらかすイメージがあったのに対し久留米商はベスト4で限界だろうと思ってましたから驚きました。
たしかに興南は招待試合で池田に勝ってますけど、
初戦の出来を見ると広島商と対戦が決まった時点で‘足元をすくわれるのでは’と思ってましたから打倒池田の1番手という感じではなかったですよ。
私もKK時代のPLは84年の方が強かったのでは?と思ってしまいます。
もっとも前半が絶好調で、後半尻すぼみというパターンに嵌ってしまいましたけど。
木内さんは‘優勝は狙ってやるもので、一戦必勝ではダメ’と言ってましたけど、まさしく その通りだと
思います。
ちなみに今年の選抜で横浜に勝ったのは秀岳館ではなく、波佐見ですよ。
高嶋監督が去った智弁学園の象徴が84年夏で浜松商に7-0から大逆転されて8-9で敗れた試合です。
浜松商の監督が78年選抜優勝のキャプテンだった森下だったというのもツキを持っているかどうかの差と
当時は思いました。
ホント智弁学園は たまに番狂わせ(95年のPL戦や07年の仙台育英戦)をするわりに取りこぼしますよね。
そうですね。逆転の浜松商。森下さんといえば現役時代からその象徴みたいな人だったのかも知れません。智弁での大逆転シーンとともにフラッシュバックする78年春の早実戦も最終回にひっくり返したように思うのですが、甲子園野球を知り尽しているというか運が強いというか。。。選手、監督の両方で全国制覇なんて数えるくらいしかいませんものね。時は流れて常葉菊川での07年春の決勝も終盤に逆転しての栄冠でした。運の強い森下監督とやはり準優勝のイメージの阪口監督そのままの結果でしたが、今夏の大垣日大は葛西を擁しながら予選で不覚を取りましたね。
森下監督の師にあたる磯部監督では04年春の八幡商戦も地味に印象に残っています。ほぼ勝ちゲームだったのを相手の粘りにあい敗れましたが、投打のバランスがよくさすがに名将磯部さんのチームだなと感じましたね。そのDNAを受け継いでの菊川での栄冠で森下采配は浜商イズムは含みながらも攻撃野球に徹しておりリニューアルしたヤンキースユニとともに斬新な印象を受けましたね
智弁学園はまだ全国制覇がないせいか、天理ほど相手に威圧感・オーラを感じさせないのでしょうね。春ばかりですが、86年の函館有斗戦、93年の長崎日大戦、01年の桐光学園戦など甲子園でのキャリアや実績では相手を呑んでかかるくらい智弁が精神的には有利だったように思うのです。相撲でいえば智弁は時々大関横綱には勝つが平幕下位や新入幕に取り溢す三役のような存在でしょうか?ただ今夏は智弁も久々に8強まで進出。特に横浜との逆転劇はかつての浜商戦のリベンジ?のような勝利への執念を見た思いでした。高校野球の七不思議でもあった奈良×神奈川でようやく奈良勢の初勝利。まだ負けの借り分は多いですが今後も「大和魂」で王国神奈川に追い付け追い越してもらいたいと願っています。
山田の能力は高かったのですけど、故障勝ちというのがありましたからね。
しかも打力は全国レベルでは今ひとつでしたし。
だから この年の九州ランキングは興南1位で、2位が
春の九州大会優勝の鹿児島実でした。
やはりPLファンは1年生の4番というのを‘1年生に
4番を打たせないといけないのか’という風に考えていたのかもしれませんね。
広島商が池田に付けた唯一の傷は水野の頭にぶっつけた一撃でしょうか。
広商が池田を破っていたら中京との2年連続対決だったのですね。82年の準決勝はまさにオールドファンも喜びそうな1‐0の展開で荒木をノックアウトするなど打棒爆発の池田との好対照ぶりが妙に興味深かったです。水野の死球は果たして投球に影響があったのかどうか?中京戦を見る限り変わりない状態だったと思うのですが。。。PLがやはり投打に充実、ムードも最高潮だったのでしょうね。PLに敗れるまで池田は甲子園15連勝だったわけですが、前年の日大ニ戦、都城戦、東洋大姫路戦、春の明徳戦などは苦戦を強いられての勝利で必ずしも全試合他を圧しての夏春連覇でもなかったわけです。それでも過去4校しかない(池田以降もなし)偉業ですから凄いチームであったことは間違いないですよね。
それにしても興南ですよ。竹下や仲田世代には考えられなかった春夏連覇。我喜屋監督にあって比屋根監督にないもの。。。勝利への執念でしょうか?昨夏の6試合ではやはり報徳との準決勝ですね。5点リードされても全く慌てない。金村の時代あたりなら兵庫>沖縄なんでしょうが、選抜を堂々と制した自信からか逆転の本家にジワジワと詰め寄り想定通り?試合をひっくり返しましたからね。スーパー1年生だった田村もいよいよラストイヤー。今夏長年のライバル東洋大姫路が躍進したことで報徳も意地をみせるのではないでしょうか‥☆
久留米商の甲子園での勝率は高いですよね。
もっとも準決勝では山田が足の故障が悪化してフテ腐れて投げていて、1年生投手の秋吉に替えられた事が
ありました。
その秋吉は横浜商戦では大量失点したのですけど、
2年後に戻ってきて連続完封勝ちしたのには驚きました。
3回戦も逃げ切れば3試合連続完封だったのですね。
スポーツライターの永谷某は今でも水野の頭部死球は中京戦などという誤報を垂れ流してまして、だから
PL戦はおかしかったという理論でしょうけど‘?’ですね。
ただ広島商ナインには前年のトラウマが刷り込まれていて、戦う前から諦めモードだったようです。
興南は80年代って80年以外は以外に打ててないのですよね。
機動力はあったけど それを上手く生かせずに奪った点も81年は1点づつ、82年は3点と2点ですから打力の差が出てますよ。
久留米商最後の出場になっている秋吉の85年はまさか甲西に負けるとは思いませんでした。初戦で敗れた県岐阜商は出ても勝ち上がれない時代でしたから甲西の勝利にもそう驚かなかったですけどね。髭の奥村源太郎監督がヒョウヒョウとした風貌で自主性に任せた野球が新鮮でした。ちなみに現在の甲西は当時の主砲で源さんと同姓でもある奥村が監督を務めています。東北の大魔人佐々木も秋吉同様に足の負傷が響いて実力を発揮できませんでしたが、後進県滋賀の躍進には目を見張ったものです。比叡山の8強以降は瀬田工、甲西が4強。90年代は春の八幡商8強が目立つ程度でしたが、01年の近江の準優勝へと繋がりましたからね。最近では3年前の選抜で横浜、東北を連破した北大津が印象的です。かつてのことを思うと滋賀県勢は甲子園で簡単に負けなくなりましたね。今夏、龍谷大平安は新湊に屈するなど京都勢は4年間初戦敗退が続いています。半世紀以上優勝から遠ざかる京都勢と悲願の初優勝を果たしたい滋賀勢。。。どちらが先なのか注目したいですね。
興南の我喜屋監督は社会人の大昭和製紙北海道でも都市対抗?で優勝させたこともあるので希代の名将と呼べるでしょう。極寒の北海道と南国の沖縄で頂を極めたのですから凄いとしか言い様がありませんね。本土でなければ勝てないという言い訳はせず、北と南の野球をミックスさせての我喜屋野球の成就。。。また強い興南がみられることでしょう。
先程、NHKアスリートの魂でヤクルト小川監督が打撃投手を買って出てたシーンを先程見ました。習志野時代以来の投球シーンだったので遠い日の自分に帰るような思いでした。足利学園、磐城、広商と3試合完封した勇姿が蘇りますね。
私も見てましたよ、アスリートの魂。
打撃投手とはいえ小川監督の投げ方を見ると、さすがは元甲子園の優勝投手と思います。
甲西のミラクルは久留米商戦の逆転サヨナラからですからね。
やはり あれが勢いのあるチームの勝ち方だと思いますが、翌年夏に開幕戦で勝った後に池田の春夏連破を粉砕した明野の先制攻撃の前に完膚なきまでに叩きのめされて それから聞かなくなったのが惜しいですね。
そういえば滋賀は比叡山・瀬田工が一時期定番でしたけど、最近は近江と北大津の時代になってますね。
滋賀はこの夏は八幡商でしたね。同校は滋賀で最初に名を挙げたチームではないでしょうか(60年代の選抜)。ただ同校は夏に限れば8強入りがなく、比叡山や瀬田工、近江のような鮮烈な印象がないのでしょうね。県勢でも唯一の88年からの夏4年連続出場は立派な記録ではあるものの1度も上位へ進めなかったことで皮肉にもアピール不足にもつながりましたね。そんな中、今夏の2試合連続満塁弾、特に帝京を葬り去った一撃は古豪八商ここにあり~!を示した見事なものでした。同県をはじめ優勝未経験の県には一刻も早く悲願を達成してもらいたいと心より願っています。
やはり八幡商が強くないと滋賀は盛り上がらないようですね。
62年選抜の作新学院との引き分け再試合は語り草になってますよね。
夏は典型的な初戦は勝つけど2回戦で敗退というチームカラーですが、今年初めて2勝しましたので自信は付くでしょうけど近江の壁が厚そうですから次回はいつ出られるかですね。
やはり近江が滋賀のレベルを引き上げた感は強いですけど、それ以降が今ひとつというのが何とも残念です。
比叡山は79年・82年ベスト8の実績はありますけど、
それ以降は今ひとつになりました。
瀬田工や甲西も然りですので継続するのは難しいですけど、八幡商が継続して初戦を突破するだけというのも寂しいですね。