奇襲にセオリーは必要か?

 昨年3月18日に行なわれたWBCで日本はベスト4でプエルトリ
コに敗れて大会3連覇を逃したのだが、その中で最も話題になって
いたのは2点差で迎えた8回裏のWスチール失敗だろう。
 
‘2点リードされていて1アウト1・2塁で打者が4番の阿部で、キャッ
チャーは強肩のモリーナだから4番の一打に全てを賭ける場面
だからセオリー的にもありえない’というもの。

 個人的には阿部が この日は全く当たってないし流れが日本に
ある中で最も怖い併殺打を打つ可能性が高いと思ったので賛成
だった。

 日本人のセオリー好きは病的なほどでノーアウト1塁でバントを
失敗して後続が倒れると‘送りバント失敗で流れを手放した’的な
論調が多いし、奇襲を仕掛けて失敗した場合にも‘こんな場面で
奇襲とはセオリー的にありえない’というのを よく聞く。

 ただ奇襲というのはあくまでセオリー的にありえない場面でやる
から奇襲であって、セオリー通りの奇襲は奇襲とは言わないの
ではないか。

 奇襲とは成功すれば流れを しっかりと掴める反面、失敗すれば
敗戦に限りなく近づくのだからギャンブルである。

 WBCの日本代表は2次ラウンドの台湾戦で1点ビハインドの9回
2アウト1塁から鳥谷が盗塁に成功し、直後に井端のタイムリーで
追い付いて延長で勝ったのだが失敗すれば試合終了だからギャン
ブル的な要素ではコチラの方が上だったにも拘らず批判する声は
ほとんど聞かれなかった。

 つまり失敗すれば試合終了という場面で盗塁を仕掛けるのだから
プエルトリコ戦の場面でも十分Wスチールはありえるし、日本が1点
を返して流れが来ている中で阿部自身は全く当たっておらず当てに
行って併殺打というのが怖い場面でのWスチールというのは成功
すれば流れを更に持って来れるわけである。

 こういう作戦は勇気ある作戦なのだからヒステリックに非難する
べきではないと思うし、セオリーに沿った戦いしかしない日本の
プロ野球こそ意外性もなく面白味がないのだろう。

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