不遇の才能・亀田昭雄を偲ぶ

 昨日ネットを見ていると元日本ウエルター&Jウエルター級王者
・亀田昭雄が4月15日に亡くなっていたという。

‘亀田’といえば最近なら件の3兄弟だが、昭和で亀田といえば亀田
昭雄という事になっており180cmの長身を誇るウエルター級の強
打者で中量級最大のホープだった。

 75年に全日本アマチュアボクシング選手権で優勝しプロ入りする
と78年5月に辻本章次を5Rで倒し日本ウエルター級タイトルを奪取
したのだが、その後の防衛戦では今ひとつ煮え切れない試合を続け
世界に打って出るホープの看板が色褪せていた中40年前の7月に敵地
シンシナティに乗り込んで1階級下のWBA:Jウエルター級王者アー
ロン・プライヤーに挑戦。

 敗れたものの‘亀田強し’のイメージでJウエルター級の日本王者にな
り、捲土重来を誓うが東洋太平洋王者・金応植に2度KO負けすると当
時日本では非公認だったIBF:Jウエルター級王者テリー・マーシュに
挑戦するも6RKOで敗れ引退していた。

 個人的に亀田を知ったのは日本王者になった後で日本タイトルの
防衛戦を地味に送っていたのだが、後に連続KO記録を持つ串木野純
也はいたのだが基本的に隠したばかりで接戦を続けていた頃。

 当時専門誌で同門の日本Jライト級王者・上原康恒と並んで拙戦や
覇気のない練習ぶりを批判されていたり、打たれモロさや拳を痛めや
すい事にスタミナの不安などの弱点も指摘されていた。

 とはいえ180cmの長身と強打を誇っていたしウエルターは厳しく
てもJウエルター級ならWBC王者が金相賢だったので80年5月に挑戦
する予定だったのが、直前の防衛戦で金はソウル・マンビーに敗れ
たため挑戦の話が流れるなどの不運もあった。

 日本タイトルを奪った辻本章次は76年10月にWBA王者ホセ・ピピ
ノ・クエバスに挑戦していたのに対し、亀田は世界戦がなかなか決
まらず格下の挑戦者相手に日本タイトルの防衛戦を細々と行ってい
たので輝ける才能も徐々に錆びついていったようだ。

 アメリカあたりに乗り込んでいき現地の強敵と対戦していくとい
うのは当時の日本ボクシング界では難しかったし、せめて赤井英和
や浜田剛史に三原正らと対戦して欲しかったと思う。

 まぁ亀田がTBSの看板選手の1人だったのに対し三原はフジ、浜田
は日テレで赤井に至っては関西のホープで朝日放送とTV的にも看板
選手だった事から対戦は厳しかったのだが。

 そんな中で亀田のウエルターより1階級上のJミドル東洋太平洋王
者だった三原正がヒューストンでレナード&ハーンズの前座を務め、
ロチェスターでの決定戦で勝った事から世界に届いているだけに三
原に対して勝るとも劣らない才能を持っていた亀田がアーロン・プ
ライヤーにアメリカで挑戦したのがハイライトだったとは本当に残
念な話だった。

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コメント
 
 
 
寺沢一男 (ビジネス音痴)
2022-06-08 20:32:35
天才亀田を2度も簡単にKOした寺沢一男ですら世界挑戦の夢は叶わなかった。もし挑戦していれば確実にチャンピオンベルトを巻いていたであろう!この寺沢をKOした平仲が世界を獲ったのも納得である。寺沢はクオーリーフジよりも有望な輸入ボクサーであった。
 
 
 
いらっしゃいませ (こーじ)
2022-06-10 21:38:43
>ビジネス音痴様

 いらっしゃいませ、初めまして。

 寺沢一男=金応植でしたね。

 何かの情報だと後にフリオ・セサール・チャベスからボコボコにされた安京徳に負けてからケチが付いた感じですか。

 どうしても韓国からの輸入選手は朴賛栄ら不遇なケースが多いですね。
 
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