岡田ジャパン誕生について

 今日サッカー日本代表の新監督に、岡田武史が就任した。
 イビチャ・オシムが脳梗塞で倒れてから1ヶ月足らずでの
就任というか、10年ぶりの監督復帰である。
 とりあえず私的には、ベストではないがベターだと思う。
 というのも時期的にヨーロッパでは、EURO・08の予選が
終了し予選で敗退したイングランドをはじめとした各国を
中心にW杯予選に向けた新監督選びが始まっている。
 だから優秀な監督は、どうしてもヨーロッパ中心になる。

 一方でオシム路線を完全とはいかなくても、それなりに
引き継ぐ人物は外人監督では限られる。
 特に外人監督は基本的に自分の色を持っているので、オシ
ムのやり方とは正反対のタイプではダメだ。
 10年前に岡田監督は、加茂周の更迭を受けて加茂路線を
それなりに受け継いだ。
 つまり現状を上手く受け継げる人材なのだ。
 前回は、Jリーグのクラブチームの監督経験もないのに
代表監督を引き受けたため批判を浴びたが、今回は横浜の
監督でもリーグ連覇を果たして実績もある。
 オシムのスタイルは‘走るスタイル’だったが、岡田の
モットーも‘走れない選手は使わない’というもの。
 確かに横浜の監督時代は、守り重視のカウンタースタイル
と言われたが、クラブチームと代表のスタイルは違う。
 
 当時エキジビションマッチで横浜と対戦した中村俊輔は、
‘岡田さんが監督になって一気に運動量が増えた、オレが
横浜にいても試合に出られたか分からない’というコメント
を残している。
 10年前の監督時代は、前任者達が絶対に外せなかった三浦
カズを試合中に交代させたりとアンタッチャブルな選手の存
在を否定している。
 これは日本人の指導者では極めて異例な事だ。
 良くも悪くも‘エースと心中’的な発想がある中で、絶対
的なエースのカズを外すなど当時の監督達がタブーにしてい
た采配を振るったのだ。
 98フランスW杯ではカズを代表から外して非難を浴びたが、
中田英寿中心のチームを作ろうとしたらしいし、カズ落選の
決定的な要因だったのは‘中田にもしもの事があった場合に
中田の代わりができるのは、小野伸二だけだった’という
理由で小野伸二を入れたからだった。
 これを見ても‘アンタッチャブルな選手を作らない’方針
が見えてくる。
 
 トルシエ時代は中田英ですらアンタッチャブルではなかっ
たが、ジーコ時代はアンタッチャブルの選手ばかりになって
代表の士気が下がったという事例があった。
 それだけレギュラーと控えの起用法に、確固とした方針が
ないとチームはガタガタになる。
 少なくとも岡田監督は、そういうアンタッチャブル選手を
作らない傾向が強いので、少なくともW杯3次予選突破は大丈
夫という感じだから08年まで岡田監督で行くか、W杯出場権
獲得した後に改めて外人の監督を呼ぶかというのは、また
別の機会に協会が判断するだけだろうと思う。

 
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