横浜から大阪桐蔭に盟主交代となった06年夏

 BS-1でOAされた高校野球思い出の名勝負の3つ目は06夏の早稲田
実―駒大苫小牧の引き分け再試合だったのだが、この年に優勝した
早実の勝ち上がりを見てみると2回戦の大阪桐蔭戦を除くと比較的
楽な対戦相手に恵まれた形だ。

 初戦が鶴崎工で3回戦は福井商、準々決勝は日大山形で準決勝が
鹿児島工だったのを見ても2回戦で大阪桐蔭に勝った時点で勢いが
付き、そのまま楽に勝ち上がった感が強く3回戦で選抜準優勝の清
峰と準々決勝で今治西と対戦した方が大変だったのではないかと
思ったりする。

 その一方で忘れてならないのは高校球界の最先端が、横浜から大
阪桐蔭に変わった事だろう。

 大阪桐蔭と横浜は初日の第3試合で対戦し選抜優勝の横浜に中田
翔を擁する桐蔭が挑戦するという形だったのだから、この時点では
横浜に大阪桐蔭が挑戦するという立場だったと思う。

 この当時の大阪は91年夏の大阪桐蔭が優勝してから優勝がなかっ
たのに対し、神奈川は横浜が98年の春夏連覇などで超強豪という立
ち位置だったのだが試合は7回表まで2ー2の同点から7回&8回に桐
蔭が4点&5点を挙げて11-6で快勝。

 ただし2回戦では早実の斎藤佑樹を打てず2-11で敗れ翌年選抜も
準々決勝で常葉菊川に敗れていたのだが、08年夏に浅村栄人をリー
ドオフマンに据えて大阪勢17年ぶりの優勝を果たすと10年代は春&
夏3度づつの優勝を飾り黄金時代を迎えている。

 一方の横浜は春は08年以降5回出場しているものの12年にベスト8
に進んだものの残り4回は初戦敗退で、夏も06年以降7回出場してい
るが08年のベスト4が最高で残りはベスト8進出がない。

 そういう意味では少なくとも06年夏の1回戦は横浜から大阪桐蔭へ
の盟主交代の第一歩だったのかもしれない。

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