ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
柴田国明の初戴冠から40年
今から40年前の今日70年12月11日はメキシコのティファナで実質無敗のまま
引退し復帰したWBCフェザー級王者のビセンテ・サルディバルを柴田国明が13R
TKOで下し西城正三に続いて敵地でのフェザー級タイトル奪取に成功した日で
ある。
当時の柴田は日本王者で強打者だったものの典型的なグラスジョーの打たれ
モロさがあったので、一時引退していたとはいえサルディバルにメキシコで挑戦
して勝ち目はないと思われていたのだ。
実際に現地入りしてからの柴田は腰痛もあって調子が上がらず、前評判も捗々
しくなかったのだった。
ところが試合が始まると1回からスピード溢れる攻撃でサルディバルを攻め
左フックを中心にした強打が次々に炸裂し機先を制してペースをつかむ。
中盤こそ一進一退の攻防だったが10Rを過ぎると疲れが見えたサルディバル
に対し柴田はペースアップして攻め立てダメージが蓄積したサルディバルは結局
13R開始のゴングに応じず柴田のTKO勝ちとなったのだった。
ビセンテ・サルディバルはフェザー級タイトルを奪取してから8度の防衛に成功
した直後に引退を表明したものの、2年後に復帰してホセ・レグラに勝って再起
戦を飾るとファイティング原田の3階級制覇を阻んだジョニー・ファーメションに
挑戦して判定勝ちして返り咲いたばかり。
メキシコでのサルディバル戦といえば関光徳が66年8月に挑戦しプロ入り初の
ダウンを奪ったもののダウンを奪い返されて判定負けすると、翌年1月のリターン
マッチでは目を切られてのTKO負けという2試合が印象的だ。
柴田戦まで36勝26KOを誇るサルディバルに打たれモロさのある柴田では
‘東洋無敵だった関でも勝てなかったのに’という予想が殆どだったのもやむを
えないだろう。
リングジャパンから この試合のビデオが出ていたので購入して見たのだが、
柴田のベストファイトとも言えるスピード溢れる攻撃が見事な出来で これなら
関戦のサルディバルにでも勝てたのでは・・・と思ったりしていた。
ちなみにメキシコ人にとって英雄のサルディバルが地元で日本人から敗れた
のは相当なショックだったようで、81年3月に具志堅用高がメキシコのペドロ・
フローレスに敗れて14度目の防衛に失敗したときにメキシコのメディアは
‘サルディバルの敵が討てた’というような記述をしていたらしい。
そういえば2000年頃にJミドル級の世界ランカーで王座決定戦にも出た事が
あるホセ・シバタ・フローレスという選手がいた。
注目は‘シバタ’というリングネームだが、当然のように日系メキシコ人かと思い
きや柴田国明のファンだから‘シバタ’と名乗っていたらしい。
日本人世界王者も50人を越えているがボクシングの本場のメキシコで自分の
名前をリングネームにされたのは柴田ぐらいではないかと思うし、改めて柴田
国明の偉大さを感じる事ができるのだ。
引退し復帰したWBCフェザー級王者のビセンテ・サルディバルを柴田国明が13R
TKOで下し西城正三に続いて敵地でのフェザー級タイトル奪取に成功した日で
ある。
当時の柴田は日本王者で強打者だったものの典型的なグラスジョーの打たれ
モロさがあったので、一時引退していたとはいえサルディバルにメキシコで挑戦
して勝ち目はないと思われていたのだ。
実際に現地入りしてからの柴田は腰痛もあって調子が上がらず、前評判も捗々
しくなかったのだった。
ところが試合が始まると1回からスピード溢れる攻撃でサルディバルを攻め
左フックを中心にした強打が次々に炸裂し機先を制してペースをつかむ。
中盤こそ一進一退の攻防だったが10Rを過ぎると疲れが見えたサルディバル
に対し柴田はペースアップして攻め立てダメージが蓄積したサルディバルは結局
13R開始のゴングに応じず柴田のTKO勝ちとなったのだった。
ビセンテ・サルディバルはフェザー級タイトルを奪取してから8度の防衛に成功
した直後に引退を表明したものの、2年後に復帰してホセ・レグラに勝って再起
戦を飾るとファイティング原田の3階級制覇を阻んだジョニー・ファーメションに
挑戦して判定勝ちして返り咲いたばかり。
メキシコでのサルディバル戦といえば関光徳が66年8月に挑戦しプロ入り初の
ダウンを奪ったもののダウンを奪い返されて判定負けすると、翌年1月のリターン
マッチでは目を切られてのTKO負けという2試合が印象的だ。
柴田戦まで36勝26KOを誇るサルディバルに打たれモロさのある柴田では
‘東洋無敵だった関でも勝てなかったのに’という予想が殆どだったのもやむを
えないだろう。
リングジャパンから この試合のビデオが出ていたので購入して見たのだが、
柴田のベストファイトとも言えるスピード溢れる攻撃が見事な出来で これなら
関戦のサルディバルにでも勝てたのでは・・・と思ったりしていた。
ちなみにメキシコ人にとって英雄のサルディバルが地元で日本人から敗れた
のは相当なショックだったようで、81年3月に具志堅用高がメキシコのペドロ・
フローレスに敗れて14度目の防衛に失敗したときにメキシコのメディアは
‘サルディバルの敵が討てた’というような記述をしていたらしい。
そういえば2000年頃にJミドル級の世界ランカーで王座決定戦にも出た事が
あるホセ・シバタ・フローレスという選手がいた。
注目は‘シバタ’というリングネームだが、当然のように日系メキシコ人かと思い
きや柴田国明のファンだから‘シバタ’と名乗っていたらしい。
日本人世界王者も50人を越えているがボクシングの本場のメキシコで自分の
名前をリングネームにされたのは柴田ぐらいではないかと思うし、改めて柴田
国明の偉大さを感じる事ができるのだ。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
« 明日からウル... | 親孝行できた... » |
左フックを打つようなフェイントを掛けながらサルディバルをロープ際に追っておいての右ストレートからの連打、これが実に効果的だった。のっけから柴田のパンチ力・スピードを突きつけられたサルディバルは結局最後まで自分のペースを見失ったまま(それでも中盤には右ジャブを起点に距離を取って、何とか局面を打開しようとしましたが)10R以降の柴田の波状攻撃をしのぎきれず、最後はセコンドがサルディバルを制止するような形での終幕でした。
先制攻撃は右ストレートからでしたが、中盤以降に目立ったのはサウスポー・サルディバルの右足の外側の位置取りからの相手の右に被せて右を抑える左フックからの連打。サウスポー対策のお手本とも言える見事な攻撃振りでした。
相手の攻撃をはずすボディワークも見事に決まり、この試合で柴田が劣勢になった場面は皆無と言える内容でしたが、12Rまでの採点をBoxrecなどで調べると、三者でそれぞれ116-114x2、117-116x1と2.2.1ポイント差しか付いていないと言うのはちょっと信じられません。現在よりも露骨なホームタウン・デシジョンがまかり通っていた事もあるのでしょうが、敵地での判定が如何に当てにならないのかが、良くわかる事例でもあると思います。
ダニエル・サラゴサvs辰吉丈一郎(1)の1R、サラゴサが1R開始直後に見せた先制攻撃を見た時に、この試合での柴田の先制攻撃とそっくりだな、と思いました。試合結果もほぼ同じ様な経過を辿ってのサラゴサのTKO勝ちだった事も含めて。
後にやはりサウスポーの強打者、ベン・ビラフロアをやはり相手のホームリング・ハワイで破ったことも含めて、柴田国明は日本人選手としては、歴代最高のサウスポー・キラーの一人だったと思います。20年ほど前位には、メキシコ、パナマなど中南米で著名な日本人ボクサーは誰?と聞くと、「シバタ(柴田国明)コバヤチ(小林弘)スズキ(ガッツ石松)」の三人の名が挙がった、と言う話もあるそうです。
ホセ“シバタ”フローレスに関しては、祖父が日本人で「柴田姓」であったため、という異説もあるようです。ほかにも、柴田の対戦相手だったエルネスト・マルセルが自身の子供のミドルネームに「シバタ」と付けていたとか、サムエル・セラノが自身の尊敬するボクサーにガッツ石松を挙げ、やはり子供のミドルネームに「スズキ」(石松の本名・鈴木有二から取った)と付けていたというのも、ありましたね。
たしかに1Rの先制攻撃は見事でしたね。
当時は15R制だったので5Rぐらいまでは様子見で戦うケースが多かっただけに、ああいう先制攻撃というのは そんなになかったですからね。
柴田の対サウスポーでのポジショニングは絶妙なものがありましたから、対サウスポーとしてはサルディバル戦が最も嵌った試合かもしれません。
柴田の先制攻撃といえばラミロ・ボラニョス戦も似た感じでしたね。
1Rで倒してしまったラウル・クルス戦もありますけど・・・・・・
この試合のレフェリー&ジャッジは全て開催国のメキシコ人でしたから、こういう採点もあるのでしょうかね。
サルディバル-関光徳の第1戦でも採点が意外に離れていましたから。
柴田さんだと思いますよ ロハスならKOしてたでしょう あの身体で黒人なみのパンチだもん あごの脆さだけは惜しいね
あとアウトボクサーもちょっと苦手だったよね
マルセル、エチュガライ、
そういえば粟生もフェザーとJライトの2階級制覇を
したのでしたね。
でも柴田と比べたら月とスッポンですよ。
ハードパンチャーとグラスジョーという二面性が魅力ではありましたけど、いつもハラハラしながら見た記憶がありますね。