九重親方が死去=「ウルフ」千代の富士―61歳・大相撲
今日の夕方 元横綱の千代の富士が膵臓がんのため61歳で亡く
なったというニュースが流れており大いに驚いた。
最近の千代の富士といえば協会の理事選で落選したなどという
話以外に、昨年7月に膵臓がんの手術を受けた健康面での不安を
感じさせるニュースがあっただけに意外に早い死だった。
現役時代の千代の富士に関しては既に概出の話が多いのだが
個人的には幕内下位から十両を行ったり来たりしていた頃に、
ある解説者が‘最近の力士は目が優しすぎるが千代の富士は
目が鋭いからいい’と褒めていたのを思い出す。
この頃の千代の富士は小柄で先述したように幕内下位と十両
を往復するような力士というイメージだったので三役になれれ
ば御の字と思っていたのだが、80年の名古屋で8勝7敗ではある
ものの2度目の技能賞を獲得した頃から頭角を現し始め秋場所
からは三役に昇進し2場所連続で2桁勝利を上げ3場所目の81年
初場所では14勝1敗で初優勝を飾ると共に大関に昇進する。
すると春場所と夏場所は11勝と13勝で準優勝となり名古屋
場所では北の湖に勝って2度目の優勝を飾り遂に横綱にまで
登りつめたのだった。
筋力トレーニングで鍛え上げた筋骨隆々とした体格ではある
ものの小兵力士のため横綱に昇進しても2年ぐらい維持できれば
いいのでは?と思っていたし、実際昇進後最初の秋場所は4日
目から休場の憂き目に遭っている。
それでも九州で横綱として初優勝を飾ると翌82年は年4場所
優勝を飾ったのだがライバル隆の里相手に相性が悪く83年は
2回、84年は1回の優勝にとどまり‘そろそろ限界なのか’と
思われていた。
ところが三役から横綱昇進の頃まで身上としていた鋭い立ち
合いから前みつを取って一気に寄る速攻相撲から左上手を取り
投げ飛ばすスタイルをも身に着けて、89年まで年平均4場所優勝
する大横綱になったのだから分からない。
当時は30歳を過ぎると限界的な見方をされていた中で30代
からギアが上がって優勝を積み上げて行った最初の力士でも
あるわけで、軽量力士のハンデを取り口の変更や年齢による
限界を乗り越える事ができた稀有な力士だろう。
それにしても昨年の北の湖に続き大横綱が1年足らずの間に
立て続けに亡くなるのは辛いものがある。