日本初のWBCタイトルマッチから40年

 今から40年前の今日・70年1月6日に東京体育館で行われたジョニー・
ファーメション対ファイティング原田の世界フェザー級タイトルマッチは日本で
初めて行われたWBCの世界戦だった。

 WBCはWBAのチェック機関として63年に設立され、68年に完全にWBA
から分離して独自の世界王者を認めていた。

 それに対して日本はWBAを唯一の世界王者認定団体として WBCを認め
ず、そのためWBC系列の東洋王者だった関光徳が1位で本来なら日本で
決定戦に出られるにも拘わらず対戦相手ハワード・ウィストンとの王座決定
戦をロンドンで行うハメになった。 

 悪い事に互角で迎えた9Rに右目に軽い傷を負った関に対しリングドクター
に見せようとしたところ、ストップと勘違いしたウィンストンのファンがリング
になだれ込んで収拾がつかなくなり関のTKO負けになるという不運に見舞
われる。

 更にウィストンの2代後のジョニー・ファーメションに3階級制覇を狙った
ファイティング原田もWBCタイトルという事でシドニーで挑戦する事になる。

 そして3度のダウンを奪いながらレフェリー1人制で行われたため、世紀の
ミスジャッジで最初は引き分けの判定から何と 1ポイント差の判定負けという
悲劇に見舞われた。

 その結果リターンマッチを日本で行うようにオーストラリアのマスコミが促
すし‘WBCを認めて原田が日本で挑戦できるようにするべき’という国内
世論も沸騰し、遂に日本で初のWBCタイトルマッチが行われたのだった。

 関光徳やファイティング原田という稀代の名選手がWBCを国内で認めて
なかったばかりに敵地での試合をする事になり、不当判定に泣くという悲劇
に見舞われたので事なかれ主義のJBCもようやくWBC を認める事になった
感じだ。

  残念ながら原田はファーメションに完敗し この試合を最後に引退したの
だったが、それから約3ヵ月後の4月に沼田義明がWBCのJライト級王者に
なり12月には引退から復帰してファーメションからタイトルを奪取していた
ビセンテ・サルディバルを柴田国明がメキシコに乗り込んで関・原田が奪取
に失敗したWBCフェザー級タイトルを獲得するのだった。

 ちなみに日本を代表する王者・長谷川穂積や西岡利晃はWBC王者だし、 WBC以上に不可解な暫定王者を乱発する老舗のWBAを見ていると WBCを
認めてよかったと実感するのである。

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