ダイナスティカップ初優勝から30年

 7月27日に行われたサッカーE-1 選手権で日本は韓国に3-0で
快勝し2勝1分で優勝したわけだが、レベル的には落ちるものの
国内組のみで組んだチームでの優勝はマスコミもそこまで持ち上
げなかった感が強い。

 しかし今から30年前の今日92年8月29日に北京で行われたE-1
選手権の前身ともいえるダイナスティカップ決勝で、日本が韓国
にPK勝ちした時は戦後初の国際公式大会で獲得したタイトルとい
う事から大盛り上がりになった。

 ダイナスティカップは東アジアのサッカーレベル向上を目指し
スタートした大会で2~3年に1度、日本・韓国・中国・北朝鮮or
香港ら4ヵ国によるリーグ戦&決勝戦という大会だ。

 90年に行われた第1回大会では予選リーグ3試合で3戦全敗=3
試合合計0-4という悲惨な結果に終わりメディアもほぼ取り上
げなかった大会だったが、92年に行われた第2回大会はハンス・
オフト監督体制になって最初の大会で少しは注目されていら。

 予選リーグでは初戦で韓国と0-0で引き分けると2戦目の中国
とは福田正博&高木琢也の得点で2-0で勝ち、3戦目の北朝鮮に
も先制されたが福田&高木&三浦知良らのゴールで4-1で快勝し
3戦全勝で1位となり決勝進出。

 決勝では韓国相手に中山雅史&高木のゴールで2-2と引き分け、
PK戦の末に勝って優勝を決めたのだ。

 この試合の結末の映像はサタデースポーツ内でもOAされ、それ
まで負けるのに慣れていた我々にとって初めて日本が国際大会で
優勝するのを見たわけである。

 とりあえずサッカー界は91年にプロ化構想を発表し、93年から
プロリーグであるJリーグ立ち上げが発表されていた一方で代表は
94年のアメリカW杯出場を目指すと宣言していた。

 とはいえ90イタリア大会のアジア予選では北朝鮮・香港・イン
ドネシアとの1次予選で2勝1敗3分の2位で敗退しており、1位の北
朝鮮は最終予選で1勝1分3敗と最下位に終わっているのだからW杯
出場を目指すと言っても懐疑的だった。

 それがオフト体制になりダイナスティカップで優勝すると10月
下旬から広島で行われたアジアカップでも優勝し、W杯本大会が
一気に現実的な目標になってきたのだ。

 それから30年後の現在ダイナスティカップはE-1選手権に受け
継がれているのだが、国内組だけで優勝したものの盛り上がりに
欠ける事を考えると30年で日本のレベルも急上昇したものだと実
感する。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 夏休み最後の... マナカ・ケン... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。