ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
西岡利晃&日本ボクシング界の大一番まで あと一週間
WBCのSバンタム級王者・西岡利晃がラファエル・マルケスとラスベガスの
MGMグランドガーデンで対戦する大一番が、いよいよ1週間後に迫った。
これまでラスベガスで世界戦を行ったのは78年2月に東洋ウエルター級王者
の龍反町がWBCウエルター級王者のカルロス・パロミノに挑戦したのと、96年
12月に西岡のトレーナーである葛西裕一がWBA:Jフェザー級王者のアントニオ
・セルメニョに挑戦した試合の2試合のみ。
今やボクシングのメッカといわれるラスベガスで日本人王者が防衛戦を行う
のは これが初めてだけに‘スピードキング’の異名通りスピードで圧倒し、モン
スターレフトの左ストレートで倒して欲しいものだ。
日本人王者がラスベガスでの防衛戦は日本ボクシング界30年来の悲願で
ある。
81年11月にロチェスターでWBA:Jミドル級王者となった三原正に対しアメリカ
側から初防衛戦で当時の5位で後に‘無冠の帝王’と呼ばれたトニー・アヤラとの
防衛戦のオファーがあったり、1位のアユブ・カルレとの指名試合をクリアすれば
統一ウエルター級王者のシュガー・レイ・レナードと1億円のファイトマネーでノン
タイトル戦を行う事になっていたらしい。
ところが初防衛戦で約1年ぶりの日本の試合となった三原はプレッシャーからか
ガチガチになって6RKO負けで10位のデビー・ムーアに敗れタイトルを失う。
それから2年後の84年にWBC:Jミドル級王者のトーマス・ハーンズから対戦の
オファーがあり当然のようにラスベガスで戦うことになったのだが、残念ながら
三原は持病の腰痛が悪化してキャンセルする事になり翌年 腰痛が原因で引退
する事になる。
次はWBC:Jウエルター級王者の浜田剛史。
86年7月に強打の王者:レネ・アルレドントを1RでKOしてタイトルを奪取し、
12月に初防衛に成功した浜田に対してJライト級とライト級を制したプエルトリコ
のヘクター・カマチョの挑戦を受ける話があった。
カマチョの3階級制覇が かかった一戦だっただけに、かなり魅力的な話だった
のだが浜田がアルレドント相手のリターンマッチで敗れて話は流れてしまった。
そしてWBA:Jウエルター級王者の平仲明信。
92年4月にメキシコでエドウィン・ロサリオに挑戦して1R TKO勝ちした平仲は
同じリングで防衛に成功した100戦無敗のWBC:Jウエルター級王者フリオ・
セサール・チャベスとの統一戦のオファーが来たのだ。
もともと平仲が勝ったロサリオはチャベスのライバルで同じリングで防衛戦を
行い統一戦へのムードを盛り上げる予定だったのだが、そのロサリオを1分半で
失神させた平仲の強打がドン・キングプロモーターの目に留まったのだ。
ただ平仲にとってチャベス戦は魅力的だったのだが、それ以上に対戦を熱望した
のが1位に上がってきた3代前の王者ファン・マルチン・コッジ。
89年4月にイタリアで挑戦し2度のダウンを奪いながら判定負けしたので日本で
やれば勝てると考えた平仲陣営はコッジ戦を優先したのだが、その前哨戦として
行った東洋王者のモーリス・イーストとの初防衛戦でオーバーワークが原因で途中
まで圧倒しながら終盤に失速し逆転KO負けし 試合後の検査で微量の脳内出血が
判明して引退に追い込まれた。
このように上がれそうで上がれなかったラスベガスでのビッグマッチのリングに
西岡が上がるのだから ある意味で感無量だが、7月にアトランティックシティで6R
までポイントでリードしながら逆転KO負けで初防衛に失敗した下田昭文のように
負けると価値が半減しかねないので何としても防衛に成功して海外のビッグマッチ
中心の本当の意味での国際路線が主流になって欲しいものだ。
« 英彦山登山か... | けっこう大変... » |
ただ一回の負けで糞味噌言わんで欲しい!
マルケスだって惨敗からの再起組だし、輪島さんも柴田さんも返り咲きを果たしている、
予想?うーん
判定なら西岡koだとマルケス?
まさしく最近は1敗しただけで見限るケースが多いのには閉口します。
長谷川などかわいそうなもので、考えてみればフェザー級転向第1戦がアチラの都合で世界戦になり勝ったものの、初防衛戦で負けたら‘もう終わった’的な評価ですから。
私も判定なら西岡を予想します。
洲鎌知ってますよ、仲宣明と並ぶ関西のホープでしたからね。
特にユウジ・ゴメスをKOした試合は素晴らしかったですよ。
共に世界挑戦は敵地でした。
池仁珍だったら国内挑戦なら勝てた可能性は高いのですけど。
>Unknown様
あまりにも発表早すぎですね。
明日の正式発表まで待てばいいのに・・・と思います。