いよいよ明後日からサッカーW杯ロシア大会が開幕し、1週間後
にはコロンビアとの初戦が行われる。
W杯でのサッカー日本代表の試合は全試合生中継で見ているのだ
が、これまで見た17試合の中で個人的に最も嬉しかったのは02日
韓大会のロシア戦で悔しかったのは06ドイツ大会のオーストラリア
戦だった。
そして今から12年前の今日6月12日は日本がオーストラリアに
残り8分まで1-0とリードしながら、3点を奪われて逆転負けした
カイザースラウテルンの惨劇の日である。
4年前の日韓大会でフィリップ・トゥルシエ率いる日本代表はシ
ドニー五輪世代を中心にしたメンバー構成で臨み2勝1分という成
績でグループステージを突破し、このメンバーが4年経ってピーク
を迎える事からドイツ大会ではベスト8も狙えると思われたし直前
に行なわれたドイツとの親善試合では2-2で引き分けるなど大いに
期待を持たせる内容だった。
ただし監督のジーコはトゥルシエ時代とはチーム内の約束事を最
低限に留めるなど真逆のアプローチで強化してきたため、果たして
名将フース・ヒディング率いるオーストラリアと初戦で当たるため
一抹の不安は持っていた。
試合は26分に中村俊輔が上げたクロスに反応した柳沢敦と相手
GKがぶつかり、ボールがそのままゴールに吸い込まれる幸運な先
取点を挙げる。
しかし その後の絶好機を高原直泰や柳沢が外すと流れは一気に
オーストラリアに傾き、後半に入るとパワープレーの前に自陣に釘
付けになるなど防戦一方に追い込まれた。
そんな中で56分に日本はDFラインの坪井慶介が足をつらせて
交代すると79分には柳沢に代えて小野伸二を投入するのだが皮肉
にもこれで流れがオーストラリアに傾き、途中出場のティム・ケー
ヒルに同点ゴールを決められると精神的に決壊したかのように更に
2点をたたみかけられて1-3で敗れたのだった。
リードを許したオーストラリアが後半パワープレーに出るのは02
日韓大会で韓国を率いていたヒディングの常套手段だったのだが、
対する日本は残り時間を逃げ切りに行くのかカウンターで追加点を
取りに行くのかチーム内の意思統一が中途半端で特に小野が投入さ
れた時に小野自身は‘柳沢の代わりだから高原のシャドーストライ
カー’と考え中田は‘小野はボランチだから自分が高原のシャドース
トライカー'と考えた結果、高原の下に中田と小野が並ぶという形で
ベンチの指示が徹底されてない事の象徴だった。
しかもジーコが監督就任以来DFラインはリスクを避けるため低
い位置に構えていたので、クリアしても前線の高原らにボールが届
かず攻められっぱなしになるし小野投入後は前線に3人が固まり7
人で守っている所に10人で攻められるのだから失点するのは火を見
るより明らかだろう。
さらに坪井が足を痙攣させ退場したのは国際試合経験が浅いため
給水のタイミングが分からず水を飲みそびれての結果で、変わりに
入った茂庭照幸は同じCBの田中誠が負傷離脱しての補充要員だっ
たのだが当初ジーコはバックアップ要員を決めておらず茂庭もJリ
ーグの中断期間中にバカンスに出かけていたという事からフィット
してなかった。
というのもジーコのチーム作りは序列重視だったので控え選手が
試合に出る機会は滅多になくバックアップ要員すら不要としていた
事から、代表に選出されなかった選手はW杯期間中Jリーグが中断
する間は茂庭のようにバカンスに出かける者もいたし仮に召集され
ても司会に出る事はまずないのがこれまでのパターンだった。
つまり序列重視でメンバーを固定するジーコのチーム作りは層の
薄さを招くというリスクが高かったし、選手の自主性重視を掲げて
いたため監督の指示も曖昧で攻撃と守備の選手の意思が統一されな
いままという問題視された事が現実になったわけだ。
どうやらジーコは自分達の現役時代のブラジル代表のような強化
法を取ったのだろうが、ブラジル人と日本人の気質の違いを勘違い
していたとしか思えない。
結果的に日本に逆転勝ちしたオーストラリアがドイツ大会で挙げ
た勝ち星は日本戦の1勝のみで、こういったチームに勝てる試合を
落としたのは本当に痛恨でW杯は積み上げてきたものに審判が下さ
れる大会と実感したわけである。