ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
76年 選抜高校野球1回戦・大社7-8習志野
昨夏の優勝校・習志野が登場。
優勝メンバーからは1番の楠田、昨年の4番で3番の岩崎、決勝でサヨ
ナラタイムリーを放った4番の下山田らが残る。
関東大会でも決勝で小山に負けたものの準優勝と実力は折り紙つき。
中国大会ベスト4でエースで4番の飯塚を中心にまとまっている大社を
相手に初戦でどんな戦いをするか注目された。
習志野の先発は左のサイドスローという変則の鵜野。
この鵜野から1回表に大社は2アウトからチャンスを掴み 1,2塁のチャン
スに5番山本の3ベースで2点を先行すると、更に小村のショートゴロを
下山田が悪送球し3-0とリードを広げる。
見ている我々は‘これで面白くなった’と思っていたら、 4回にも大社は
1点を追加し4-0となる。
習志野打線は飯塚のカーブが面白いように決まるので全くタイミングが
合わずズルズルとイニングを重ねて行き、番狂わせの匂いが漂い始めた。
そして7回に大社が福間と須谷の連打からエラーも絡めて 7-0となった
時は‘終わったな・・・・’と思い、その裏に3ベースから1点を返すものの
ここまで3安打では残り2イニングで6点は厳しいだろうと思っていたのだ。
‘そういえば昨年の選抜でも習志野は豊見城の赤嶺のカーブにタイミン
グが合わず2安打完封負けしていたな・・・・’と思っていたら実況でも同じ
ように昨春の豊見城戦の話をしていた。
ところが8回裏にドラマは起こる。
先頭の3番・岩崎がライト前に打ち返すと下山田もレフト前に落として
1,2塁。
続く栗崎が三遊間の深いところへ打った打球をショートが足に当てて
内野安打にして岩崎が還り2-7、更に金原が右中間に3ベースを放ち
4-7になると俄かにムードが変わり7番・金子もレフト前ヒットで5-7。
こうなると大社は浮き足立つ。
8番の植草がセンター前に弾き返して繋ぐと鵜野から代わった 9番の
藤田の2塁ゴロを2塁手が弾いて1点差にすると、1番の楠田がセンター
前ヒットで遂に同点。
更に嶌田のドラッグバントが内野安打になりノーアウト満塁として1アウト
後に下山田のショートゴロを併殺を焦ってファンブルする間に藤田が還り
この回一挙7点入り大逆転となった。
さすがに気落ちした大社は9回表を3人で討ち取られ、前年夏の優勝
校の底力を見せ付けた習志野が奇跡の大逆転勝ちで初戦を飾ったの
だった。
最近の高校野球では常葉菊川をはじめとして、こういうビッグイニング
を作る事は珍しくないが1-0勝ちをよしとする当時の高校野球では本当
に珍しい試合だった。
今にして思えば新年度最初の試合なので、習志野は前年の豊見城戦
同様カーブに手こずったものの終盤になってカーブにタイミングが合って
きたのが大きかったのかもしれない。
しかも飯塚がカーブの調子がよく、面白いように討ち取れるので多投し
過ぎたという事が考えられる。
今振り返れば、いろんな要素が出てくるので最終的に自力に勝る
習志野が終盤底力を発揮したという総括が順当だろう。
が、当時中学入学を迎えていた私にとって こういった予想外の展開は
奇跡以外の何ものでもなかったのだった。
大 社 300 100 300 7
習志野 000 000 17X 8
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柳沢慎吾がこの習志野×大社戦に思い入れがあるらしく、関西ローカルの番組でその試合翌日の新聞を持って出演していたのを覚えています。確かにあの時代で7点リードですから、いくら無名に近い大社高校でも勝ち試合のはずですよね。今夏に智弁和歌山や常葉菊川も大逆転を演じましたが、価値は全然違うように思います
大社の飯塚投手。やはり勝利を意識したんでしょうね。今の高校球児なら、どこが相手であろうと比較的平常心で挑めると思うのですが、その当時だと都会と地方、名門校と無名(新鋭)校との意識の差は少なからずあったのかも。。。79年春、鶴商学園が天理を下した試合も私は信じられませんでした(君島投手はカッコよかったですね)
習志野はそれが唯一の選抜勝利で、来春に33年ぶりの復活。34年ぶりになる倉敷工とともにノスタルジックですね
夏の優勝投手、石井や小川、現監督の小林、01年出場の佐々木(フォークがよかった)らは右のオーバースロー、87年出場の綿貫は右下手投げ。鵜野投手のような左変則派は習志野にしては珍しいですね。
前年夏の下山田のサヨナラ打は印象深いです。新居浜商の右翼・竹場選手(無精ヒゲでしたね)の前にボールが落ちて‥ABCの植草アナが「青春の、歓喜の終幕です~!」という今では時代錯誤な実況も耳に残ります。ガックリ膝を着く村上投手(イケメンでした)、ホームベース上でバンザイする越智選手。素晴らしい決勝戦でした
夏はその習志野が2度、銚子商が1度と優勝のある千葉県勢も春は準優勝2度が最高成績。PLに逆転サヨナラ負けした81年の印旛は大漁を逸した感が強いですね‥☆
私すごい見落としでした。大社高校ってメチャメチャ伝統校です。戦前の大正6年夏には杵築中として初出場(島根勢としても)。以来、昭和38年までで夏のみ6度甲子園に出ているんですね。そのあと低迷期に入り、76年の選抜初出場がむしろ遅いくらいの感覚なのかもしれません。歴史的な大逆転負けだったことから(春夏通じて)初出場=緊張と私は勝手に結び付けてしまいました
島根県勢では浜田に抜かれるまで大社が最多出場だったことになります。大社、浜田が夏。松江商が春。それは隣県鳥取の鳥取西が夏、米子東が春のイメージなのと酷似。最近の島根は開星、江の川が目立っていますが、大社の復活も期待したいですね
それにしても出場校の少なかった夏の第1回大会から鳥取・島根の2県から山陰代表とは学校数の割に随分と優遇されていますよね。四国から一校、九州から一校だったみたいですし‥☆
千葉県勢は大型チームが多かったので春は弱かったのでしょうかね?
それにしても今ならアリですが、1-0野球全盛時に
0-7からの逆転はホントに驚異的でした。
大社の飯塚のように面白いように決まる球を勝負球にするケースが多いけど、やはり程度モノでしょう。
新居浜商の竹場はヒゲ面でインパクト強かったですよ。
最近は、こういう選手って珍しいですね。
君島は78年は日田林工に0-3で敗れてますが、その経験を生かした感じですね。
ただ日田林工に勝っていたら次は天理でしたから、
どうなっていたでしょうか?
PLで81年春優勝した若井(元ホークス)の実兄なんですね。私それをつい最近知ったのですよ。夏の大会で南陽工・津田から決勝ホーマーを放った印象が‥。70年代の天理はパワーはあってもきめ細かさに欠いていましたね。掛川西、福井、星稜、中村、鶴商学園、浜田と敗れた相手はやはり天理より格下のような気がします。特に失礼ながら田舎チームで部員12人の中村に足元を掬われたのは屈辱以外の何物でもないような‥。何せ天理は5期連続、山村・福家、鈴木康友らメンバーも充実してましたからね(山沖を除いて中村の選手は小柄で細いのに、天理はほとんどがゴツかった‥)
私は大阪ですので、77年春では大鉄高校の逆転負けが悔しかったです。銚子商の尾上(元中日)に逆転ツーラン(だったかな?)を浴びてしまって‥。銚子商は名将の斎藤監督、大鉄は福本時代から率いていた網監督でした。その夏はベスト4入りした大鉄。特に津久見戦のサヨナラ満塁弾(川端)は興奮しましたよ。準決勝でバンビの東邦に逆転負け。勝っていれば東洋大姫路との近畿対決だっただけに惜しかったです。以後、阪南大高と校名変更後は出場がありません。興国、明星ともども復活を期待しているんですが‥
選抜に弱い千葉‥88年春に市船橋が守乱により倉吉東に完敗。倉吉は3回戦まで進み旋風と言われたような‥。敗れた桐蔭学園戦も接戦でしたから、好印象なチームでした。82年春の千葉商大付も平沼が尾道商のバント攻めにあっさり敗退。千葉商大付はその一度きりですし、選抜の強豪・尾道商も86年が最後になっています。崇徳、尾道商どちらが先に戻ってくるか注目したいですね☆
テレビで観戦していたわけではなく、後から聞いたのですがね・・・。
そう習志野は前年の夏、後にYs-Fsの小川(大学-プロでは外野手)がエースで優勝したのでした。
チームカラーは底力のあるという感じでしたね。
サウスポーのアンダーハンドというのは珍しかったです。
サイドハンドの人は時々みかけられるようになりましたが、ここまでオーソドックスアンダーハンドというのは今でも見られないかもしれないです。
若井が兄弟とは・・・・やはりそうでしたか。
弟の方が勝ち運があったようですね。
78年にベスト8入りするまで天理は3勝できなかった
のですよ。
まぁ山沖の中村は典型的な春型のチームでしたが。
77年春は尾上に打たれたのは3ランでした。
前年夏には2年生ながら打ちまくってましたからね。
私の祖父の実家が津久見なので大鉄戦は印象深いですよ、それに打たれた星野はウチの地元出身でしたからね。
いきなり鍛冶本のHRには度肝を抜かれましたね。
‘0の数が多いウチの負け’とは故・小嶋仁八郎監督の敗戦のコメントです。
崇徳と尾道商は崇徳の方が復活が早いのではと思いますけど。
やはり私立が最近は強いですからね。
>トクタサツオ様
銚子商同様‘よく打つチームだな’とは思ってましたけど、ここまで打ちまくるとは思いませんでした。
この時代に左の下手投げは珍しいですよね。
津久見の小島監督は愛すべき方でした。文献によると、72年は全国制覇したのでオールジャパンの監督として海外遠征するところだったのに、大の飛行機嫌いを理由に監督を拒否。さらに甲子園であまりの大敗を喫したため怒りが収まらなかったらしく、義務であった敗戦インタビューをすっぽかし宿舎へ一目散~。それでも人間味溢れる名監督です。九州唯一の春夏優勝経験されたのですから
77年の津久見は初戦?京都商に大勝したこともあり、大鉄はやられるのでは‥と私はヒヤッとしていました。エース前田が突如崩れる場面もありましたし。それでも大阪から春夏連続で出たということは実力は高かったんでしょうね
その夏の千葉は銚子商、習志野と3強を形成していた千葉商。同校もそれ以来ご無沙汰ですね。初戦で姫路の松本にあっさり完封された印象。翌春に印旛、夏に我孫子、翌夏に市銚子、さらに八千代松蔭‥。戦国千葉の幕明けは、全国制覇から遠ざかることにもなりましたが。。☆
77年の津久見は投手力が弱く、星野はカーブ投手だったので打ちまくられましたよ。
敗戦後にインタビューを受けなかったのは65年の秋田戦後だそうです。
千葉の戦国時代は切磋琢磨する反面、出場権を取ったら安心してしまうようですよ。
福岡の三池工が初陣で全国制覇。ちなみに甲子園勝率10割の高校はその前年春優勝の徳島海南と三池工だけなのだそうですね。名将・原貢監督、エース上田卓三。阪神、南海でも貴重な左腕として活躍しましたよね
秋田高校は福本の大鉄や津久見に勝ちベスト4。ホホウ‥大鉄と津久見が絡んでるのは面白いですね。宮崎の古豪・高鍋もベスト4と九州勢が躍進。木樽で準優勝の銚子商が全国区になった年でしょうか
66年夏は初戦敗退の津久見は翌春初出場で優勝。ドロップの吉良って伝説ですよね。さらに72年の水江投手で夏も制覇。間違いなく昭和40年代九州最強は津久見でしょうね
星野投手はあまり覚えてません。。そのあとの82年の古木投手?だったでしょうか。継投だった記憶が。左のスラッガーもいましたね
私が高3の85年春、開幕戦で津久見が東洋大姫路を下したので正直驚きました。サブマリン豊田次郎から2ホーマー。小島氏のあとの高橋監督がベテラン梅谷監督を倒したんですから大殊勲。その夏は1勝したあとPL桑田に完封されてしまいましたね
88年は川崎で春夏連続出場。やはり夏の大垣商・篠田との投げ合いが印象的ですね。どちらも逸材のように見えましたが、篠田はホークスを数年で退団したような。川崎も波瀾万丈のプロ生活でした。ヤクルト入団当初は えげつない位の豪速球を投げてましたよね
丸20年間、甲子園にご無沙汰している津久見の復活を祈っています~!
津久見はセメントとミカンの街でして、そのオーナー達が後援者として地域で唯一の高校・津久見をバックアップしてました。
ところが昨今はセメントもミカンもダメになってますので、そこいらあたりも低迷の原因だそうです。
82年の左の強打者は伊東でした。
津久見の掛布などと言われていたようです。
私のイメージとして津久見は大分県でも有数の市だと思い込んでいました。ところが人口は数万人程度と知りビックリ。全国優勝2回をはじめ甲子園に18回出場し通算24勝、そしてプロ野球選手も多数。凄い高校ですよね。
地元経済が地域や学校を支えていますから。まして地方都市レベルなら より頻度は高いでしょうね。こちらでも「津久見みかん」は何度か目にしたことはありますよ。愛媛、和歌山ほどでないにしろ、津久見や山口県の周防大島なども一大産地ですからね。やはり地球温暖化などにより収穫にも影響が出ているのでしょうか‥☆