大関に昇進した豪栄道に望む事

「大関豪栄道」が誕生=大阪からは44年ぶり―大相撲(時事通信) - goo ニュース

 大相撲の関脇を14場所連続で務めていた豪栄道が今日 大関に昇進
した。

 春場所で12勝を挙げたものの夏場所では8勝止まりだった事から
厳しいかなと思われていたが、先の名古屋場所では優勝争いに加わっ
ての12勝で3場所合計が32勝となり満場一致で大関昇進が決まった
という。

 豪栄道は対日本人の大関・稀勢の里や琴奨菊には相性がいいものの、
モンゴル人横綱の白鵬や日馬富士に鶴竜などには相性が悪い。

 しかも28歳と大関がゴール的な年齢で大関をステップに横綱昇進と
いうのは正直言って厳しいものがあるだろうが、白鵬相手に連勝した
姿を見ると進化の跡は見られるし日馬富士や鶴竜が横綱昇進と同時に
大関時代のような2桁勝利がやっと状態になっているのを見ると可能
性は0ではない。

 また琴奨菊はケガがちで稀勢の里は最近の相撲を見れば進化どこ
ろか後退しているような感がするし、遠藤が上がってくるには時間が
必要なので とりあえず日本のエース格になれるとは思う。

 最大の問題は大関昇進がゴールとなる‘大関病’をいかに避けるか
だろう。

 つまり大関に長く君臨し過ぎると横綱昇進より大関の座を守る事
に汲々とし始めるわけで、そうならないためには昇進して最初の秋
場所で最低でも2桁、上手くいけば優勝争いをできるかどうかにか
かって来るだろう。

 そのためにも夏巡業でしっかりと鍛えて実りの秋を迎えて欲しい
ものだ。

コメント ( 10 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
豪栄道&勢。。。東西の横綱が究極の夢です( ̄q ̄)zzz? (なにわのヒバゴン)
2014-07-31 13:43:01
大阪から44年ぶり大関誕生とは恥ずかしながら存じてませんでした(笑)何せまだ私2、3才の頃ですからね。前田山という力士もどんな大関だったのか。。。こーじさんはご存知ですか? 豪栄道は少し前までは踏み込まれると苦し紛れに引き技や首投げを打つ悪い癖が再三見られましたが、近頃は正攻法の取り口に磨きを掛け地力もアップした印象。身体も一回り大きくなった感がありさらに高みを目指して欲しいです。 ウーン大関病って暗黙の了解?みたいに罷り通ってますよね。だいたい2場所連続負け越さなければ大関の地位キープという基準が甘いんですよ(^^)千秋楽あたりで青息吐息して計算通りに‘残留’するというサラリーマンチック?な割は見るに耐えません。四股名の如く豪栄道はそんなセコい男でないことを祈りますし口上通り‘大和魂’を貫いてもらいたいです。大阪(春場所)は相撲人気がイマイチなのかかつては豪栄道が土俵に上がろうとも拍手や声援は疎ら。福岡で魁皇(一発変換できました。。。改めて凄い名大関!)が割れんばかりの大声援を受けていたのを思うと寂しさ頻りでした。が、今年の春は館内に耳をつんざくような豪栄道コール。ようやく地元にも認知されてきたことを窺わせました。秋、九州、初場所で一気に大躍進し来春は横綱として故郷に錦を飾ることになれば万々歳\(^.^)/なのですがまだ早いでしょうか。豪快な塩撒きと一直線のガブリ寄り!復調を窺わせた琴奨菊もまだまだ土俵を盛り上げてもらいたいですね☆
 
 
 
さすがに前田山は・・・ (こーじ)
2014-07-31 22:17:32
>なにわのヒバゴン様 
 私などは大鵬&柏戸を見ている最後の世代ですが、さすがに前田山は記憶にないですね。

 大麒麟などはあるのですけど・・・・

 以前ブログに書いたのがカド番システムの弊害で負け越し場所が10敗してもカド番場所で8勝すれば残留ですから、2場所連続で18勝とかカド番場所から2桁勝利などと
ハードルを上げるべきですね。
 
 
 
ハチナナ、クンロク大関と揶揄されては名が廃りますね(^-^)ビタワン若三杉。。。 (なにわのヒバゴン)
2014-08-01 23:47:12
そうでしたか。私の大相撲最古の記憶は輪湖時代、5大関(貴ノ花、魁傑、旭国、若三杉、三重ノ海)を擁していた頃ですね。大関とはつゆ知らなかった(^^)大受はもう平幕に落ちてましたし金剛や長谷川も引退間際だった気がします、高見山、黒姫山、麒麟児、富士桜。。。小兵旋風のあった場所(春?)鷲羽山、北瀬海、若獅子らの活躍もぼんやりと憶えています。関西風のアクセントで聞きやすく分かりやすい神風さんの解説が絶妙で高校野球同様にこの頃の相撲は面白く、子供だった私でさえ食い入るようにテレビにかじり着いていましたよ。こーじさんは大鵬はもとより柏戸や大麒麟(押尾川親方は青葉城の師匠ですね(^^))もリアルタイムでご覧になられたんですね。大麒麟はまずまずの実力派大関のイメージですがどんな力士だったのでしょうか?引退を決意したとされる大鵬×若き貴ノ花を見たかったなぁ。。。8勝で角番脱出は無理矢理?大関に復帰させているようで逆に惨めですよね。ナンバー2の地位を張るのに2場所18勝12敗くらいは普通ですよ。是非北の湖理事長に‘提言’しに行きましょう☆ 
 
 
 
‘ハチナナ’ではなく (こーじ)
2014-08-02 22:39:58
>なにわのヒバゴン様
 我々は8勝7敗の大関を‘ハ(8)ナ(7)タレ’大関と
呼んでますよ。

 こうして挙げられたしこ名を見ると、かなり個性的な力士が揃っていた感じですね。

 大麒麟といえば うっちゃりが得意だったイメージでして、あとは吊り出のような相手を自分の腹の上に乗せる
のが得意だったようです。

 神風さんの解説はソフト調で、玉の海は辛口解説でしたね。

 
 
 
 
輪湖時代の庄之助、伊之助(はっけよいを発しない&名人芸の廻し待った)、呼び出し寛吉(笑)。。。懐かしいです☆ (なにわのヒバゴン)
2014-08-03 08:35:50
ハナタレ大関(笑)言い得て妙です。千秋楽で計算(筋書き)通りに勝ち越すシーンを見るにつけ‘相撲って純粋なスポーツちゃうやん!’って思いますね。ハナタレという表現に高倉健さんが武田鉄矢さんに‘お前みたいな奴は草野球のキャッチャー(みっともない)たい。’と言った有名映画をなぜか思い出しました(お二人とも福岡ですね)。  神風さんは取り組み(展開)を予想するのが特に秀逸で千秋楽結びの一番。大歓声のなか制限時間一杯の塩を撒く両者をバックに‘共に左四つですが廻しを引き合うと輪島がいいですね。北の湖は長い相撲にならないよう立ち合い突き放すとか輪島の体を起こしたいですね(声のトーンが上がる)’。玉の海さんは‘そうねぇ。稽古の積み重ねが地力になるわけですからねぇ。玉の富士は叩き、引き技で勝ってるだけでこのままではダメでしょうねぇ。(次期大関は?)ウ~ン正攻法じゃないと難しいと思いますよぉー’。大関(特に貴ノ花)を叩き込み?で破って玉の富士がインタビュールームに再三来ていましたが、彼も辛口解説を理解しているのかアナウンサーのいよいよ大関ですね?の問いに‘(目がテンになりながら)私は関係ないです’とソワソワと?早く引き揚げたい様子が何とも気の毒で(^^)。。。素直に喜ば(べ)ない?インタビュー力士は彼ぐらいだった気がしますね☆
 
 
 
玉の海氏は (こーじ)
2014-08-03 23:00:07
>なにわのヒバゴン様
 玉の海は解説中にブチ切れて黙ってしまいアナウンサーを困惑させるケースが多々ありましたよね。

 それにしても二方の解説よく覚えてますね。
 そんな感じのしゃべり方でして、懐かしいですよ。

 武田鉄也は博多で高倉健は中間の出身で、東筑OBですから頭はよかったでしょうね。

 草野球のキャッチャーは武田鉄也のコンサートでの
持ちネタですよ。
 
 
 
健さん劇中では飯塚出身でしたよね(^ー^)☆ (なにわのヒバゴン)
2014-08-04 21:51:55
神風さんの解説はどんな凡取組(笑)でも楽しくワクワクさせる魔力がありますから、氏がラジオ解説の日はテレビの音声を消して見たりしてました。辛口?の玉の海さんは子供だった私には正直苦痛(^^)でしたね。相撲は厳しく辛いスポーツなんだなと身につまされるような感覚に陥ったり。。。あと清国の伊勢ヶ浜さんの解説も良かった印象です。神風さんは増位山が内掛け、内無双など業師ぶりを発揮した際にも‘いや~タイミングが鮮やかでしたねえ。相手が出る一瞬を見計らっての切れ味。まさに伝家の宝刀ですよ~’などと興奮されましたし、伸び悩む巨砲や蔵間に対しては‘いいモノを持ってるだけに歯がゆいですよ。懐が深くて体も柔らかいetc。。。蔵間は今年で29才ですか?勝負の年ですね’と期待を込めて話されていました。幕内中堅辺りをウロウロする蔵間はついに‘善戦マン’の域を越えられず数年後に引退、廃業。若くして亡くなった時は私も本当にショックでした。88年の選抜に初出場、サッカーで全国制覇した野洲高校の名を見聞きするたびに野洲町出身(高校は八幡工業でラグビー部)の彼の勇姿が蘇りますね。最近の解説者で好きなのは尾車、北陣親方、定年退職された境川(元鷲羽山)さん。舞の海(私と同い年)はまずまず、琴錦さんも意外と?ユーモアもあって好感が持てます。   高倉健さんは東筑出身で仰木彬氏の先輩にあたるわけですね。最近は甲子園ご無沙汰の同校でぼんやり思い出すのが85年センバツ1回戦の天理戦。近鉄に入団した桧山投手が中村だったか一発を食らって敗れましたが、公立進学校らしいスマートな投球が印象に残っています。その天理は仰る通り81年の謹慎は本当に惜しい!練習試合でもセンバツを制することになる吉村らのPLに完勝するなど近畿ではダントツの評判でしたからね。前年夏の横浜との準決勝でもほぼ勝利を収めていました。雨天決行し内野ゴロの打球が止まり安打、そのあと畳み掛けられ逆転負けを喫し甲子園を去りましたが、藤本博史や川本、小山らの存在感は以降の常勝時代よりもインパクトが濃かったですね。武田鉄矢さんはタレントとしてはあまり好きでは(関心)ないのですが、海援隊の曲は好きでCD時々聞いてますよ。‘故郷未だ忘れ難く’という曲が心にズシリと響くようで聞き惚れますね。まだ若くブレイク前のナンバーにも彼(ら)のしたたかな実力とスピリッツを今更ながら感じる私です♀_(`O`)♪
 
 
 
私も神風氏の解説は (こーじ)
2014-08-04 23:41:51
>なにわのヒバゴン様
 私も神風氏の解説は今でも最高だと思ってますし、こういう解説者が最近はいないというのが寂しいです。

 むしろデーモン閣下の含蓄ある解説は必聞ですし、先日はサンデースポーツで白鵬に苦言を呈していたのも好感が持てましたよ。

 東筑は78年に3試合で合計11安打で2勝した事がありましたけど、こういうチームは最早甲子園は無理という事ですね。

 78年の日大二戦など3塁手が目の前にいるのにわざわざ3塁前にバントを転がす芸のなさにはガッカリしてましたし、ノーアウト2塁で唯一当たっている5番にバントをさせるなど今では考えられない野球をしてました。

 85年の東筑に我が母校はベスト4で0-15の5回コールドで敗れてますよ。
 
 
 
 
日大二高も82年が最後ですか。。。松坂慶子がOGというのもシブい(^^)! (なにわのヒバゴン)
2014-08-05 20:52:44
78年の東筑の芸のなさ( ^∀^)以前こーじさんも電話でかなりボヤいておられましたね。あの時代だからこそ前進守備シフト&強打者にもバントも違和感なかったんでしょう。しかし当時すでに何故バントを?と腑に落ちなかったこーじさんは先見の明ありまくり(^^)既に21世紀的な感性をお持ちだったわけです。作戦的に不味かったとはいえ甲子園2勝は立派!春に同じ東京の早実に完敗した柳川商のことを思うと東筑は立派ですよ。勉強も疎かにせず活躍を見せたわけですから。78年春は初出場帝京に勝った小倉もそれが最後の出場なんですよね。ヤクルトの安田猛が同校OBだと知ったのにはビックリ。インテリジェンスな左腕であったわけですね。夏連覇の立役者、福島一雄さんは何年か前の甲子園開会式で表彰されてましたが、ご高齢を感じさせない矍鑠とした姿でお元気そうでした。小倉工業も甲子園常連の時期があったようですが。。。テスト生から名選手へと駆け上がった松永浩美を擁した時代も聖地は遠かったのですね☆
 
 
 
78年柳川&小倉は (こーじ)
2014-08-05 23:04:50
>なにわのヒバゴン様
 78柳川はパワーはあったものの早実・山岡が投げる左の縦カーブを全く打てませんでしたね。

 もっとも6安打中3ベースが3本ですから当時のレギュレーションである選抜の初戦が新年度最初の試合という
のが祟ったのかも知れません。

 小倉が最後に出場した78年は‘勝てそうなのが前橋と帝京ぐらい’と関係者達は言っていたようですが、それを見事に引いた形でした。

 福島氏が元気なのはいいですけど10年ほど前まで開設されて聞いていたら‘投手を中心にした守り’一辺倒の
解説でガッカリした覚えがあります。
 
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