横浜スタジアムの こけら落しから30年

 今から30年前の今日、78年4月4日は横浜スタジアムで
横浜大洋ホエールズの本拠地としての こけら落しのジャイ
アンツ戦が行われた日である。
 それまでの大洋ホエールズは、同じ神奈川の川崎球場を
本拠地として使用していたが両翼89m、センター118mという
狭さから乱打戦が多かった。
 それがセンターこそ118mだが、両翼は94mでフェンスの高さ
も5mと当時としてはそびえ立つ感じだった。
 だから‘広いのでホームランが出にくい球場’と言われていた
のだ。

  横浜スタジアムはマウンドが昇降式で、スタンドも可動式の
ためアメフトなどにも利用できる多目的スタジアム第1号となった
し、逆三角形の照明灯も斬新なデザインだった。
 こけら落しのジャイアンツ戦では、斉藤明夫の好投で4-1 で
勝って記念すべき横浜スタジアムの第1戦を飾ったのだ。

 ユニフォームも前年まではホーム用がオレンジでビジター用は
グリーンだったのが、ホーム用は白になってすっきりした感じが
あった。

  あれから30年経つ。
 フェンスの高さが5mあり、両翼94mという事でプロ野球OB達は
‘ここでは広いからホームランによる得点より、機動力を生かした
スピード感のある野球が望ましい’などとのたまっていた。
 実際、85年から高木豊 加藤博一 屋鋪要といった俊足選手を
1番から3番まで並べて‘スーパーカートリオ’と呼ばせ、ウリにして
いたのが象徴的だ。

 ところが3塁側ベンチの後方に海があるので、浜風の風下がライト
スタンドという事でライトに上がった打球がウソのようにスタンドイン
するシーンが嫌というぐらい見る事ができた。

 つまりホームランは減らずに増えていった。

 そのうちに翌年の79年にはセンター120m、両翼95mの西武球場が
完成、88年にはセンター122m、両翼100mの東京ドームが完成し
横浜スタジアムは

`狭い球場’

と呼ばれるようになってしまった。

 それを考えると、70年代前半(というか昭和40年代)まで日本の
プロ野球は箱庭のような狭い球場ばかりで試合していたというのを
実感した。 

コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
まだ (屯田兵)
2008-04-05 01:55:50
飛鳥田市長がいた頃には
横浜平和球場とかいってて、横浜球場になって必ず最終戦が無料になって、その時は高校の期末かな?重なって試験⇒戸塚でボウリング⇒横浜最終戦がお決まりのパターンになってた。

田代がばりばりの4番だったときの話だkedo
 
 
 
田代ですか (こーじ)
2008-04-05 23:59:11
>屯田兵様
 田代が4番を打っていた時代は、かなり風情がありましたね。
 あの豪快なアッパースイングは忘れられません。
 
 
 
こんなことしてるから (屯田兵)
2008-04-08 21:48:13
今日関東地方台風並の雨風だったの 夜小降りになったとしても中止だべ
と思ってたらやってるじゃないっすか
球場で観る方の事考えて欲しいわ 当然入りは パ・リーグみたいだし

今野球が面白い!騒いでるのはテレビ局だけ
 
 
 
観客の事も考えないと (こーじ)
2008-04-08 23:36:29
>屯田兵様
 TV中継があるので強引に試合を強行したのでしょうが、観客はたまったものではないですね。
 神宮が中止になったのは、TV中継がなかったからではないでしょうか?
 やはり観客の事を考えないと人気回復もあったものではないですね。
 
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