ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
‘山びこ打線の母’逝く
蔦キミ子さん(徳島県立池田高校野球部・蔦文也元監督の妻)が死去(読売新聞) - goo ニュース
昨日の新聞に池田高校野球部の元監督だった故・蔦文也氏の妻・
キミ子さんが91歳で亡くなったという記事が載っていた。
奇しくも昨年のNumberの高校野球特集に同年の選抜に池田が
復活したという事からか、キミ子さんのエピソードが載っていた
ので興味深く読んだばかりで‘この人がいたからこそ池田の全盛
時があったのだ’と実感したものだった。
ご存知のように池田は徳島県の山間なので、地理的にも人材確
保は難しく寮の存在は必要不可欠だろう。
多い時には50人もの生徒を一手に預かり世話をしていたという
のだから凄いし、だからこそ優秀な人材が池田に集まったのだろ
うと思う。
池田は92年夏を最後に甲子園から遠ざかるのだが、寮も夫人の
高齢を理由に00年に閉鎖されたというもの。
甲子園から遠ざかっても池田野球部を希望する子は多かったが
立地条件の問題から寮がなくなったので受け入れられず、人材が
集まらなかったのを街をあげてバックアップする事で寮が復活し
人材が集まりだしたからこそ昨春の池田の復活があったらしい。
つまり甲子園で活躍するには清貧を売りにした徒手空拳では
無理で、寮のような最低限のインフラは絶対に必要だというの
が分かる。
いくら監督が優秀でも慕う人材を受け入れるだけのものがなけ
ればダメなので、寮母という形で監督を最後まで支えたキミ子夫
人は池田の代名詞である‘山びこ打線’の母的な存在だったの
だろう。
今頃は天国で文也氏が‘やっと来たか’と酔っ払って迎えて
いるに違いない。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
« ウルトラセブ... | ウルトラマン... » |
やはり‘食’というのは大事ですからね。
監督1人ではカバーできるものではなく、良妻賢母だった夫人あっての成果だったでしょう。