ボクシング世界戦が15Rから12Rになるきっかけは

 今から40年前の日本時間の今日82年11月14日にラスベガスで行わ
れたWBAライト級タイトルマッチで王者のレイ・マンシーニが1位
・金得
九の挑戦を受け14RKO勝ちして2度目の防衛に成功したのだが、
挑戦者の金は試合後にリング上で意識を失い病院に搬送されたもの
の4日後に死亡する事故となった。

 この一件でボクシングの世界戦がWBCから順に12R制に変更され
ていったのだから、ボクシング界にとっても大きなターニングポイ
ントになるリング渦だったのだ。

 挑戦者の金は韓国No1のタフ男と呼ばれるぐらい驚異的な打たれ
強さを誇り19戦17勝(9KO)1敗1分の戦績で、東洋太平洋王者の看
板を引っ提げ勇躍ラスベガス・シーザースパレス屋外リングに上が
った。

 王者のマンシーニは前年WBC王者アレクシス・アルゲリョに挑戦
し14RKO負けするものの大健闘し、82年5月にWBA王者アルツロ・
フリアスを1RKOしタイトルを奪取すると7月の初防衛戦で元王者エ
ルネスト・エスパーニャを6RKOし迎えた2度目の防衛戦が金戦。

 マンシーニは激しい打ち合いを身上とし旺盛な連打が武器なのに
対し金もタフなファイターで屋外リングの日差しが残る中、試合は
1Rから壮絶な打ち合いを展開し結果的に14Rに金が力尽きる形で試
合終了となったようだ。

 砂漠の日差しが残る厳しいコンディションの中で打たれ強さを誇
る金が14Rまで連打が売りの王者のパンチを受ける形になっており、
リング渦が起きる条件は揃っていたと言える。

 そこでWBCから12R制に変更されていったのだが‘13R以降の3Rこ
そ世界戦の醍醐味なのに’と反発する声が続出したものの、むしろラ
ウンドが短くなった方が15R制の時代は様子見と位置付けられてい
た前半から打ち合う試合が増え15R制の時代よりもスリリングな試
合が増えるという結果になったのだ。

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« THE FIGHTING ... 平成ゴジラの... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。