今から40年前の今日76年5月18日に行われたWBA:Jミドル級
タイトルマッチで王者の輪島功一は、2位のホセ・デュラン相手に
14RでKO負けし2月に柳済斗から奪回した王座の初防衛に失敗
すると共に奇しくもファイティング原田がエデル・ジョフレから
世界バンタム級タイトル奪取して11年後の5月18日に世界王者が
いなくなったわけである。
3ヶ月前の柳済斗戦で15RKO勝ちし奇跡の返り咲きを果たした
輪島だが、勝者は2ヶ月以内に1位のミゲール・カステリーニとの
防衛戦を義務付けられていたもののカステリーニが自動車事故を起
こして延期となり代役として来日したのがスペインのホセ・デュラ
ンだった。
カステリーニがかなりの強打者だったのに対しデュランはヨーロ
ピアンスタイルの正統派アウトボクサーという事だったので、変則
スタイルの輪島にとっては相性のいい相手と思われたし10日前に
ガッツ石松がタイトルを失ったため日本人唯一の世界王座を守って
くれるものと期待されていたのだ。
ところが1Rこそ勢いよく飛び出して挑戦者を追い回したものの
2Rに早くも右ストレートのカウンターをモロにくってダウンした
だけでなく、鼻柱をカットして流血戦になり挽回するべく前進して
はカウンターをもらう悪循環に嵌ってしまう。
こうしてダメージを溜めた輪島は13Rにワンツーを浴びて2度目
のダウンをして敗色濃厚になると、続く14Rに右ストレートを貰う
と後頭部から倒れてカウントアウトされたのだった。
勝ったデュランは試合後「輪島は強かったけど前の試合の疲れが
残っていたようだ」と語っていたが2月の試合は輪島にとって全身
全霊をかけてのものだったのかと実感したし、だからこそ納得して
なかった輪島が1年後にエディ・ガソの持つタイトルに挑戦し惨敗
するというラストを迎えるわけだ。
ただ個人的に物心付いた時から日本にいた世界王者がいなくなり
ガックリきたし輪島が敗れた時点で輪島-柳済斗戦を除いて日本
のボクサーの世界挑戦は、9連敗を含めて14敗していたので次の
世界王者は誰がなるのか全く分からない状態だったのだ。