ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
アユブ・カルレを見た日
今から30年前の昨日79年10月24日は秋田でWBAのJミドル級タイトル
マッチが行われ、王者の工藤政志が最強の挑戦者で1位のアユブ・カルレに
判定で敗れタイトルを失った日である。
とはいえカルレに工藤が敗れて悔しかったものの、世界の一級品とも言
えるテクニックを存分に見せつけられ感心した方が強い。
Jミドル級のレベルは輪島功一を通じて見ていたのだが、タイトルを奪取
したカルメロ・ボッシや1度引き分けたミゲール・デ・オリベイラあたりは
強いと思ったものの柳済斗らは そこまで強い相手とは思わなかった。
しかし工藤の相手として秋田のリングに上がったカルレはアマレス上がり
の工藤に負けない素晴らしい筋肉質の体を誇っていたので見るからに
パワーがありそうだったし、スピードが これまで日本で見たJミドルのボク
サーとは段違いで速くて巧いという表現がぴったりなのだ。
最近でこそWOWOWエキサイトマッチでカルレのようなタイプを見るのは
珍しくなかったが、当時Jミドルであそこまで速くて巧い選手は初めて見た。
もともと前評判の高かったカルレだったが試合が始まるとサウスポー
スタイルからスピードに乗った右ジャブを連発し、右アッパーをガードの間に
もぐり込ませて開かせ すかさず左ストレートを打ち込むと右フックまで
フォローと完璧なコンビネーションを見せる。
わずかに5Rの終了間際に工藤の右がヒットしカルレが腰砕けになった
ものの、危なげなく最終ラウンドも流して大差の判定でタイトルを奪取した。
‘Jミドル級屈指のパワーヒッター’という評判のカルレの攻撃に‘よくぞ
倒されずにフルラウンド戦った’と工藤の頑張りに賞賛が上がったぐらい
両者の力の差は歴然だった。
当時のJミドル級の連続防衛記録は輪島功一の6回だったが、カルレの
強さを見るとあっさりと更新されそうな感じだった。
翌80年9月6日に1位にランクされていた東洋王者で輪島の後輩でもある
三原正が4度目の防衛戦の相手としてカルレのホームリングであるコペン
ハーゲンに行く予定だった。
ところがドタキャンして別の挑戦者との防衛を果たした後、 81年6月に
ヒューストンでウェルター級王者だったシュガー・レイ・レナードの挑戦を受け
中盤から盛り返したものの9Rで TKO負けするのだった。
その後レナードは9月にトーマス・ハーンズとの統一戦で勝ってウェルター
級を統一したためJミドル級王座を返上し、三原正が敵地での決定戦で
判定勝ちして輪島の持っていたタイトルを持ち帰るのだった。
仮に あのままカルレがレナードの挑戦を拒否して防衛に専念していたら
輪島の記録も大幅に更新し2桁防衛はしていたのではないかと思うし、
少なくとも三原正が王者になれただろうか?とも思うのだ。
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上記の様な予備知識を専門誌から得ていたので、対戦が決まった時点で「あ~ヤバイ、工藤は負けるなあ・・・」と予想しておりました。案の定、工藤は大差判定負けでしたが、5R終了間際に右ストレートを決めてカルレをぐらつかせ、その後、ペースアップしたカルレの攻勢にさらされながらも、頑強な体力で抵抗し、KOはされなかったのには、ちょっとばかり感動しました。日本人王者が負けた試合でしたが、不思議と悔しい気持ちは少なくて「本物の世界の超一流を目の当たりにした感激」の方が大きかった試合でした。
後年、カルレがレナードに敗れた時には「あのカルレでも、レナードには敵わないのか・・・」とかなりショックを受けました。
ここ最近は、こういう「本物感いっぱいの世界チャンピオンや世界ランク上位の挑戦者」と言うのが、あまり日本には来なくなってしまいました。これも統括団体が増え、階級も増えて、さらに暫定王者などと言う世界チャンピオンの水増し状態になってしまった弊害ですね。
私も同感でした。
専門誌では当初工藤が‘カルレなど怖くない’と言っていたというんですが、強かったですよね。
良識あるファンは一級品を国籍関係なく認めます。
カルレはまさしく一級品でしたので、彼らを国内で見るチャンスがあった当時は幸せな時代でしたね。
今ではアルゲリョやゴメスクラスを国内のリングで見る事はないでしょう。