亡き師匠は超下戸だった

 今から30年前の今日82年4月13日は福岡の修行先で営業終了後に歓迎
会を開いて
もらった日である。

 3月29日に師匠の自宅2階に先輩との相部屋で住み込み翌30日の営業日
から
仕事に見習いとして参加し、仕事の合間や営業終了後に練習をする日々
が始
まった。
 
 見習い参加2週間目の13日に営業終了後モツ鍋を囲んで私の歓迎会を
やってもらった。


 通常 営業日は出店である店の2階で奥さんが作ってくれた食事を食べるの
だが、この日は自宅で鍋を囲む事になるので営業終了後の練習はなく早めに
掃除を終わらせて自宅に戻る。

 とりあえず私の場合は20歳前で仕事もできないの乾杯のビールをコップ1杯
だったが、先輩3人はモツ鍋を食べながら飲みまくっている。

 そんな中で師匠は乾杯のビールすら口にしない。

 その理由は酒を全く体が受け付けないタチで いろんなエピソードがあった。

 実際3ヵ月後の7月頃の日曜日の営業終了後に自宅の居間にスタッフも
集まり
リラックスして飲み会をしながら談笑していたのだが、みんなで酎ハイを
作っ
て飲んでいたところ師匠が珍しく‘少しオレも飲もう’と言い出した。

 そこで酎ハイ用の大きなコップに氷水を なみなみと入れ焼酎をキャップで
1/3ほど量りながら混ぜて一口なめるように口に含んだとたん、顔だけでなく
全身が真っ赤になり‘動悸がするけん もう寝る’と言って布団を敷いて寝て
しまったのだから驚いた。

 師匠は私のオヤジの師匠の息子だったのでオヤジとは兄弟弟子にあたる。

 昔は大晦日の営業は朝まで行っていたので営業が終わると屠蘇を祝って
そのまま友人と遊びに行こうと考えていたところ、一緒に働いていた実兄が
多めに酒を注いだので激怒し兄弟ゲンカになった。

 すると父親から‘正月早々 酒を多く注いだの注がんだのでケンカしやがって’
と怒られて正月の小遣いである お年玉をもらえなかったというのを年末営業
終了後に屠蘇を祝う時に聞いた事がある。

 だから師匠に酒を勧めるのはタブーだったし卒業生の先輩方も挨拶に来る
時は好物のスイカは下げて来ても酒だけは土産に持ってこなかったのだった。

 30年経った今でも その話を思い出す。

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