ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
輪島功一 28歳の初戴冠から40年!
今から40年前の今日71年10月31日は‘炎の男’と呼ばれた輪島功一が
世界Jミドル級王者のカルメロ・ボッシに判定勝ちして当時の日本人最重量級で
あるJミドル級王者になった日である。
当時の日本のボクシング界では26~27歳で引退というのが常識になって
いて、実際ファイティング原田は27歳で引退していた時代に25歳でデビューした
原田と同い年の輪島が28歳で世界挑戦という事自体 無謀だと思われていた。
さらにJミドルといえば2年前の9月に南久雄がフレディ・リトルに挑戦し2RKOで
一蹴され‘左パンチを当てただけでも善戦’などといわれたぐらい日本と世界の
レベルが違うクラスで、そのリトルに完勝したローマ五輪の銀メダリストへの挑戦と
いうのだから無謀だという予想も あながち大げさではない。
輪島は一応1月に南を7RでKOしているので‘挑戦資格’は一応あったのだが・・・・
試合が始まると輪島は極端なローダッキングから急激に伸び上がって打ちかかっ
たり‘カエル跳び’と呼ばれた屈伸してからパンチを放つなど、ありとあらゆる変則
攻撃を仕掛け王者を混乱させる。
輪島に言わせると
‘普通にボクシングをやったら絶対に勝てないから変則攻撃でペースを乱して慣れ
ない打ち合いに持ち込めば終盤スタミナ切れを起こすはず’
という事で五輪の銀メダリストのペースを狂わせる事に成功。
終盤スタミナ切れした王者を攻めてポイントを挙げ2-1の判定勝ちとなった。
実際アメリカ人レフェリーの採点を見れば分かるのだが12R終了時点では2ポイ
ントリードされていたのを最後の3Rを取って68-67の1ポイント差での際どい
勝利だった。
もっとも当時の評論家達の評判は悪く‘失格のタイトルマッチ’や‘あれはボクシン
グではない’などという批判的な論評が多くを占めていたのだが、冷静に考えると
自分より長身でリーチも長くテクニックも格上の相手に普通に戦っては勝ち目はない。
カエル跳びをはじめとした変則攻撃は自らのハンデをアドバンテージに
替える戦法だったのだ。
それまでの日本のボクサーが獲得した最重量級は藤猛のJウエルターだった
わけで、それを越えるクラスでの戴冠は1つの壁を越えた形になっている。
つまり輪島は五輪メダリストコンプレックスや重量級コンプレックス、高齢コンプ
レックスなどをクリアした事になるのだ。
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お宝発見 6分割になってるけどFULLで入ってる
逆輸入盤
輪島さん7,3にして思い切りパーマしてるんだもん
そりゃ髪に悪いよね
意外にデュラン戦は見られませんから貴重ですよね。
現地では午後1時からの中継だったのですね。
ありがとうございました。
おれもβに持ってるんだけどまさかヨウツベでみれるとは
金相賢戦もあるね
用皆懐かしいですね、この試合がエキサイトボクシングだったのは知りませんでした。
金相賢戦はTV東京だったので。
オスカー・アルバラードVS龍反町もあるのですね。