ビッグレッドマシーン来襲から30年

 30年前の昨日78年10月28日はビッグレッドマシーンと言われた
シンシナティ・レッズが日米野球で来日し初戦を戦った日である。
 7戦まで戦った日本シリーズの熱もさめやらぬ1週間後、後楽園球場に
‘闘将’と呼ばれたスパーキー・アンダーソン監督率いるシンシナティが
文字通り来襲したのだ。

 スーパースターのピート・ローズや名キャッチャーのジョニー・ベンチ、
黒バットのジョージ・フォスター、名ショートのデーブ・コンセプシオン、
ケン・グリフィ・シニア。
 屈指の2塁手だったジョー・モーガンこそ来日しなかったものの、
そうそうたるメンバーだ。 

 そぼ降る雨の中で黒バットのフォスターが弾丸ライナーのHRを堀内
恒夫から放ったのが号砲だった。
 ジャイアンツも通算311勝のトム・シーバーから王貞治がライトスタンド
最前列に打ち込むHRなどで反撃、終盤に中畑清の活躍で何とか逆転
勝ちした。
 しかし翌日からシンシナティは本領を発揮。
 5-0からジャイアンツが河埜和正のライトへの2ランで2点返すのが
やっと。 

 それ以降オールジャパンやジャイアンツ・ブレーブス連合、カープ連合
などのチームも挑んだが、ことごとく一蹴され結局シンシナティは14勝
2敗1分という60年代以降では最高成績を残していったのだ。

 当時はフジTV系?で日曜の昼過ぎから録画ながらMLB中継がOAされ
ていて、シンシナティの試合も見る機会があった。
 この日米野球も見られる限りTV中継を見ていたがメンバーやモチベー
ションを含めて‘コイツら凄い’というのが画面を通してビンビン伝わって
きた。
 なお同級生の中にはピート・ローズの事を‘ピート・ズロース’ と言う
不届きものがいた。

 因みにピート・ローズは翌年からFAでフィラデルフィアに移籍。
 28年前の80年にはワールドシリーズでカンザスシティと対戦、ホーム
ゲームで全勝して4勝2敗でフィラデルフィア唯一のワールドシリーズ
優勝を果たした。

 当時‘こんなハイレベルなチームがいるMLBで日本人選手が
活躍できるワケがない’と痛感したのだが
30年後の現在ここ
までMLB で日本人が大活躍するとは思わなかった。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« またしても降... サンマの季節... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。