草むしりしながら

読書・料理・野菜つくりなど日々の想いをしたためます

天職

2019-01-10 13:31:53 | 草むしりの幼年時代
天職 

 「明日の遠足はこおぼし山に行きます。頂上の原っぱには時々ウサギが遊びに来ます。」と幼稚園の先生がおっしゃった。その時私は「こおぼし山って、コウボシがいっぱい生えているのかなぁ」と、庭に生えている雑草のコウボシを思い浮かべていた。
 
 翌日は急な坂を上り頂上に着いたが、コウボシなど一本生えていなかった。残念ながらウサギも遊びに来ていなかった。優しかった担任の先生は数年後、こおぼし山のふもとのお寺にお嫁に行かれた。

 いくら取ってもすぐに生えてくる畑の厄介者のコウボシを見ると、幼稚園の遠足を思い出す。こうぼし山とはたぶん弘法大使をお祀りしている山の名前だろう。幼稚園の頃といえば、五歳そこいらだ、私はそんな小さなころから、コウボシを知っていたなんて。

 もしかしたら、草むしりは私の天職なのかも知れない。

◎当草むしりブログにご訪問いただきましてありがとうございます。明日よりしばらくお休みしたします。
次回は1月22日より投稿を再開いたします。

例年にない暖冬でしたが、年明けとともに寒波がやってまいりました。寒さはこれからが本番です。ご自愛ください。
 
                                               草むしり

くじ運

2019-01-07 14:49:07 | 日記
くじ運

 結婚して最初の年末に、夫が大量のポケットテッシュと小さな鏡餅を持って帰った事があった。勤め先の購買で福引をしたという。新婚家庭に必要な家電を購入したため金額も大きく、三十数回引いた結果だという。

 何とくじ運の悪い人だろうと思ったが、当の本人が一番嫌になったようだ。以来この手のくじは私にくれるようになった。ところが私のくじ運も似たり寄ったりで、「どんぐりの背比べ」もいいところだ。

 ある時大きなサイコロを放って、出た目の数だけ景品がもらえるくじ引きがあった。つまりサイコロの目が六ならば六個の、一ならば一個のお菓子がもらえるという訳だ。しかも数が増えるにしたがって、お菓子の大きさがだんだんと大きくなっていく。

 外れのくじはないし、運がよかれば六個お菓子をもらえる。可能性は六分の一だ。いくら何でも一なんて数は出ないだろうと思ったのだが……

 信じられないことに一が出てしまった。お大きな菓子の袋を山ほど抱えて嬉しそうに帰る親子連れを横目で見ながら、惨めな気持ちになってしまった。気の毒そうなお店の人と、必死で笑いをこらえる夫の顔を思い出す。

 景品の飴玉を口に放り込み、もう二度とくじなど引くかと思った。ところが口の中の飴玉がやけにおいしくて、こんなくじならもう一度引いてみたいものだと思った。

いろはかるた

2019-01-03 12:36:23 | 平成
いろはかるた

 お正月の遊びというと、次女が幼稚園に上がる年のかるた取りが思い出される。

 裏面が若竹を連想させるような緑色で、それがそのまま表の縁取りになっていた。描かれている絵は、江戸時代からタイムスリップしてきたように見えた。「犬も歩けば棒にあたる」で始まる、いろはかるたである。

 当初その絵に違和感を覚えたのは子供たちだけではなく、購入した私自身もそうだった。それでも一度試しにとってみると、面白くて何度も繰り返し取ったのを思い出す。そして最初の印象とは違って、平成のバブルの時代に媚を売らないその絵が、新鮮に見えて来た。

 しかし絵以上に惹かれたのが、面白いことわざの数々だった。興味を持ったことを楽しく遊びながら覚えるのに、大人の知識や子供の頭の柔らかさは関係ないようだ。家族全員で楽しく覚えてしまい、絵を見ただけでそのことわざを言えるようになった。

 とりわけ次女は強い興味を示した。三人姉弟の末っ子の特権を行使して休日の父親の膝の上に座り、何度も繰り返しかるたを取っていた。嬉しそうな娘と何度も読まされて疲れ切った夫の顔を、懐かしく思い出す。