草むしりしながら

読書・料理・野菜つくりなど日々の想いをしたためます

草むしりの幼年時代 その4

2018-11-20 15:04:34 | 草むしりの幼年時代
草むしりの幼年時代 その4
 
 卵を買いに

 私がまだ小さかった頃というよりは、世の中がまだ大らかだった頃といった方が分りやすいかも知れない。小学生だった私は、高校生の叔父と単車の二人乗りをして、卵を買いに行ったことがある。
 
 父の一番下の弟である叔父を私は「兄ちゃん」と呼んでいた。当時叔父が世話をしていた牛の餌やりを手伝ったり、代掻きの終わった牛を小川に洗いに連れて行ったりと、いつも叔父の後をついて回っていた。一方叔父のほうもそれをあまり嫌がりもせず、私の相手をしてくれた。
 
 前後の記憶がはっきりしないが、たぶん親戚の家かどこかに行ったのだろう。卵を入れた買い物カゴを片手に持ち、もう一方の手で叔父のズボンのしっかりと握り締めていた。
 
 まだ舗装のされていない道路のあちこちに出来た水たまりを除けながら走っていた。カーブを曲がる時は内側に単車が傾き、卵をいれたかごが外側に引っ張られ目の高さに卵が見えて、持ち手をギュッと握り締めた。
 
 ゆっくりと体勢が戻ると、今度は上り坂だ。アクセルを踏み込みグングン登り切ったとき、前輪が小さくバウンドして叔父の開襟シャツと、私のちょうちん袖のブラウスの裾がふわりと膨らみ、一瞬空を飛んだ。
 
 そして見事に着地、家に向かって一直線に単車を走らせた。叔父が転ぶわけがないから、怖くもなんともなかった。

草むしりの「幼年時代」その3

2018-11-18 12:59:21 | 草むしりの幼年時代
 草むしりの「幼年時代」その3

 食い物の恨み
 
 家の中で一番涼しいのは仏壇のある奥座敷で、今年の夏はここでブログを書いていた。

 ところで子供の頃私はとろろ汁が嫌いで、夕飯がとろろの日にはだしを取った後の椎茸をおかずにご飯を食べていた。ある時それが三日目も続いて、さすがに母が可哀そうに思ったのか、卵焼きを作ってくれた。喜んで食べようとしたら、姉に取られてしまった。

 「ご飯のおかずを好き嫌いする方が悪い。一人で卵焼きなど食べる方がおかしい」姉はそういうと卵焼きをムシャムシャと食べ、とろろ飯をずるずると平らげた。スカスカの椎茸をかじりながら悔し泣きに泣いた、あの日のことを忘れることができない。

 子供の頃の思い出には必ず姉が出て来る。夜中に目が覚めると、仏壇の辺りが明るい。怖くて仏壇の方を見ることも出来ずに、そのまま蒲団を被って寝てしまった。翌朝起きると姉が仏壇に火の玉が出たと騒いでいた。

 姉もあれを見ていたのだ。ちょうどお盆で、こんな風に寝ていて仏壇が明るくって、枕元に女の人が立って、何か言っている……。

 えっ、女の人が立っている……。

 「あんたこんなところで寝たら風邪ひくよ」驚いて目を覚ますと姉が枕元に立っていた。ああ、怖かった……。

 姉さん。この部屋で寝ているときには、枕もとに立たないでくれる。卵焼きのことは許してあげるから。

草むしりの「幼年時代」その2

2018-11-16 12:01:03 | 草むしりの幼年時代
草むしりの「幼年時代」その2
小学校低学年の頃
 
 三浦哲朗の「盆土産」には泣かされた。声に出して読んでみると、早世した母親の墓参りの場面でグッときて、出稼ぎに出る父親を送る場面で涙が出て声が詰まった。
 
 舞台は東北の寒村なのだろうか。主人公の少年は給食に鯖サバフライが出ると書いてあったから、私よりも少し年下だろう。なぜならば私は中学校二年生の時に給食が始まったからだ。少年の姉と同じ歳くらいだろう。
 
 少年の父親は出稼ぎに出ているが、私の知りうる限り、自分の回りには父親が出稼ぎに出ている家は無かった気がする。雪の多い東北に比べ温暖な九州はそれだけ恵まれているのだろう。
 
 夏には稲を作り冬には麦を植える。出稼ぎこそしないが、農家の仕事は限りない。私の家は兼業農家で、母はモンペを穿いて手ぬぐいを頭に被っていつも野良仕事をしていた。子供心に「農家は嫌だなー」と思っていた。
 
 それでもテレビで炭鉱の落盤事故のニュースを見たり、漁船が難破して漁師の死んだと聞くと、家は農家でよかったと思った。
 
 今でも覚えている。霧の深い晩には遠くで汽笛が鳴っていた。物悲しい汽笛の音は、親を亡くした子供が泣いているようで、暖かな蒲団の中でそっと母の手を握ったことを。

草むしりの「幼年時代」その1

2018-11-14 13:46:54 | 草むしりの幼年時代
 老人の日の思い出

 敬老の日が祝日になったのは一九六六年で最初は「寄りの日」。それじゃああんまりだから「老人の日」と呼ばれるようになったそうだ。あれは私が幼稚園の時だった。老人の日に幼稚園で祖父母参観日があった。

 若い頃肋膜を患った祖父はいつも痰の絡んだような咳をしていた。うつしてはいけないという配慮があったのだろう。私が物心ついたときには、祖父は一人で別棟の隠居にいた。

 そのせいか、朝ドラのヒロインや「ちびまる子ちゃん」みたいに、お祖父ちゃんから可愛がられた記憶が無い。だから参観日にはこないと思って、その日は後ろにいる人たちを見ないようにしていた。

 歌やお遊戯が終わった後、最後に自分たちが描いた絵をあげる段になった。みんなが祖父ちゃん祖母ちゃんに向かって走って行ったが、私一人その場に立って俯いていた。

 その時誰かが「〇〇〇、〇〇〇」と私の名前を呼んだ。振り向くと祖父が一張羅の黒い国民服を着て立っていた。驚いたのか嬉しかったのか、私は泣きながら祖父に絵を差した。私の描いた画用紙の中の祖父も、やっぱり黒い国民服を着ていた。

 思い出すと今でも泣き出してしまう、子供の時の思い出である。
 

草むしりの冬支度

2018-11-12 13:18:28 | 日記
草むしりの冬支度

 山からの風が、赤や黄色の木の葉を庭に散らした。どうやら山神様が冬支度を始めたようだ。重い腰をあげ落ち葉をようやく掃き終わった頃、空が急に暗くなり雨が降り出した。大慌てで洗濯物を取り込んでホッとしていたら、また晴れて来て風が落ち葉を散らした。
 
 こんなしぐれ模様の日には、早めに湯を沸かすことにしよう。スイッチ一つでお湯の沸くお風呂よりも、やはり冬は薪風呂に限る。モウモウと湯気の立つ熱めのお湯も嬉しいが、出来たおきで焼くさつま芋はもっと嬉しい。
 
 今夜は豚汁にしようか、里芋の皮をむく。焼き芋の後に豚汁の鍋を七輪にかけ、次にやかんをかけて湯をポットに二杯沸かす。その後猫の湯たんぽに入れるお湯も沸かして、最後に残ったおきは消壺に入れて消炭にする。
 
 薪風呂と七輪は冬の必需品だ。七輪のサナが割れているので買いに行かなければ。七輪を使う時に思うのだが、翌日には忘れてしまう。火を焚く時には煙突の掃除をしなければ思うのだが、湯船に浸かると忘れてしまう。
 
 裏山に白い煙が昇っていく。中腹の赤いハゼの葉がまだ半分ほど残っている。山神様が冬支度を終えるのと、私が忘れてしまう用事を済ませるのは、さてどちらが先だろうか。