真夏の夜の思い出
図書館に行く途中で、眼鏡を忘れたことに気づいて家に引き返した。買い物や散歩のときは必要ないのだが、さすがに図書館では老眼鏡が無くては字が読めない。まったく年は取りたくないものだ。子供の頃は夜空に広がる天の川の星たちまで見えていたのに……。
さすがにそれは言い過ぎかもしれないが、見えていた気がする。空気がきれいたったからか、あたりが真っ暗だったからだろうか。いや天の川は小さな星の集まりだと姉に教わったからかもしれない。見上げると無数の星が瞬いていた、夏の夜空を思い出す。
さて当地では昔から「七島井(しっとうい)」と呼ばれる畳表の栽培が盛んであった。今ではごく限られた農家しか作っていないが、私が子供の頃はどこの家でも作っていた。
刈り入作業は「七島じの(しっとじの)」といわれ、時期はちょうど真夏で、一家総出の仕事だった。
夕方父が刈り取った七島を母がより分けると、今度は二つに分割する作業がある。この作業のことを「七島わき」と言い、夏の夜の家族総出の仕事だった。
「七島わき機」と呼ばれる木制の粗末な道具は、細い針金が一本渡してあった。古い筵(むしろ)を地面に敷き、片方の足を曲げてわき機を固定し、取り付けられている針金で七島を一本一本縦にわいていくのだ。
針金の張り具合を調節して、右手に握った七島の茎を針金に押し込んで五センチくらい引き出す。十本か十五本くらいそうして引き出しておいて、五本くらいを左手で平らに握ってぐいとひっぱり、途中で右手を七島の下に添えて一気にひっぱる。すると一本の茎が二本に分割されるのだ。夜を徹して行われる気の長い作業だった。
ピンピンとまるで一弦琴のような音を立てて、まずは針金の張り具合を確かめる。それからキュキュキュ、グワーンと七島をわく音が、真夏の夜空に響いていた。
わき終わった七島は翌朝、干場と呼ばれる山の空き地に広げて天日干しする。藁を敷き詰めた上に細い竹の棒を置き、その上に七島を薄く並べて干していく。途中で一度ひっくり返して日のあるうちに取り込む。
日中はお天道様が仕事をしてくれるので、休んでいられそうな気がするが、そうは問屋が卸さない。昼すぎにはなからずゴロゴロとやってくるものがいる。
それ夕立だ、濡らしてなるのかと。一家総出で取り込むのだ。それから冬になり今度は筵(むしろ)に織るのが、その家の主婦の仕事になる。それを「筵買い(むしろかい)」と称する仲買人が来て買っていくのだ。
農家にとっては現金収入になる仕事だったのだろう。ただ夏の作業はあまりにも過酷だった。我が家では私が小学校の高学年になったころに辞めてしまった。
さて先日「面倒くさいの文化」の中で紹介した「おらんだ」はこの夏の時期に食べられる当地の郷土料理である。「七島じの」ことを考えると、なぜ「おらんだ」があんな料理方法になったかが分かるような気がする。
私にとっては夏の夜の幻想的な思い出になる「七島じの」も、母にとってはつらい思い出だったのだろう。早くに辞めたのは正解だった。ただ「おらんだ」の方は、いつまでもおいしい思い出として食べ続けていた。
しかし考えてみれば油と粉と塩だけの料理だ。栄養なんて何にもないし、いくら食べても腹いっぱいにならず、大量に食べてしまう。
それが太りすぎ高血圧の引き金になり、晩年の母を苦しめたのではなかろうか。
何も「おらんだ」を名指しで責めているわけではない。何事もほどほどに食べることを心掛けて、わが郷土の「おらんだ」を今後も愛し続けたいと思っている。
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